メロスは激怒で始まり真っ裸で終わる
たとえば漱石の『坊っちゃん』。なぜ主人公は「坊っちゃん」なのか。うしろから読むと、最後にばあやの清がそう呼んで死んでいく。で、著者はこの名作の「痛快な勧善懲悪というイメージ」を修正。「清への長い手紙」か「追悼だったのではないか」と解釈する。
愉快なのは太宰の『走れメロス』だ。教科書の定番で「メロスは激怒した」の書き出しを覚えている人もいるだろう。そのラスト。親友のために走り続けて王様を改心させた大団円だが、メロスは(いろいろある経過は省略。まあ、原作を読んでください)最後は真っ裸。少女にマントをさし出されて「勇者は、ひどく赤面」して小説は終わる。
かつては裸部分をカットした教科書もあったとか。シンプルな友情物語として中学生に教えたわけか。ばかげた操作をしたものだが、著者・斎藤さんはそこをつく。
メロスが赤面したのは単に裸だったからか、それとも自己陶酔に近い行為そのものに対して赤くなったためか、と著者は問いかける。「最後、メロスはコドモからオトナに変わるのだ」「ただの感動小説のわけないじゃない」と言われると、ついうなずいてしまう。たしかに、これはありきたりの批評ではない。
(ジャーナリスト 高橋俊一)
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