問題は「歌の存在感」
そんな中、大晦日の「紅白歌合戦」で、なにか愁眉が開くという感覚を持った。それは、美輪明宏の存在だった。
今から40年も前に、美輪明宏は丸山明宏という名で、シャンソン歌手としてメディアに登場していた。当時脚光を浴びたのは、母の姿を歌った、紅白でも披露した「ヨイトマケの唄」であり、「ブルーボーイ」などと言われていたその美しさだった。天草四郎の生まれ変わりと、当時から言われていたのだ。
紅白でなぜ黄色い髪でなく黒髪で歌ったのかと聞かれ、美輪は「三世代を歌いこんだ歌を黄色い髪では歌えない」と言い、歌そのものを聴衆に届けるためには、余計なイメージ付けを排除して「黒一色」のヴィジュアルで歌ったと言った。
美輪明宏の歌の存在感は、ある意味今時の歌うたいの範疇を遥かに超えるもので、なにか日本の歌の有様すら変えてしまうのではないかというほどのものだった。
「よいとまけの歌」が、初めて世に出てから40年を経て日本中に響いたということに、大きな意味を感じる。有り体に言えば、いまの時代、人々に迫る歌が、他にないのだ。