小沢昭一さんや中村勘三郎さん逝く
巨星たちが旅立っている。12月10日に亡くなったのは俳優の小沢昭一さん(享年83)だった。小沢さんといえば、俳優として「幕末太陽伝」などに出演、バイプレイヤーの鑑ともいえる存在だった。一方では芸能研究者として、右に出る人がいないほどの実績を残している。
中村勘三郎さん(享年57)の他界は、残念としか言いようがない。彼の実績と将来性については、繰り返す必要はない。彼は今後の歌舞伎界だけではなく演劇界を背負う逸材であったと断言する。勘三郎さんの踊りは、イタリアオペラ界、目の肥えたブロードウエーのプロデュサーたちもが驚嘆した。彼のチケットは、なかなか手に入らない。歌舞伎界、舞台の世界を通じてナンバーワン俳優だった。
そして12月7日には森光子さん(享年92)の本葬が青山葬儀場で行われた。参列した堺正章さん、萩本欽一さん、黒柳徹子さんら数多い大物たちも、刻まれた年齢を隠せない。送辞を読んだのは近藤真彦。ジャニーズ事務所と森さん結びつきは、森さんが1984年に紫綬褒章を授与されたときだった。森さんの本葬で際立っていたのは女優の米倉涼子だった。森さんが「あのこ、大物になるわよ」と太鼓判を押していた意味が葬儀場で立証された。輪廻転生―。世代交代の瞬間だった。
地井武男さん、小野ヤスシさんなどのバイプレイヤー、そしてザ・ピーナッツの伊藤エミさんなどのスターなどが次々とこの世を去った。地井さんはフジテレビ『北の国から2002・遺言』では、田中邦衛演じる「黒板五郎」に、妻がガンで余命宣告を受けたことを打ち明ける。この数か月前に彼は、妻をガンにより失い、涙と鼻水を垂れ流した迫真の演技が話題になった。
ザ・ピーナッツの伊藤エミ(享年71)発売したシングル、LPの累計売上は1000万枚以上にもなる。もしピーナッツがいなければピンクレディーの誕生もなかった。ピーナッツは、ナベプロの基本をクレージーキャッツとともに築いた。引退後は山口百恵以上に人前には出なかった。
ドリフターズ「結成メンバー」だった「鳥取が産んだ天才」小野ヤスシさん(享年72歳)は、どうしてもいかりや長介さんとは相入れなかった。リーダーは2人いらない。晩年の小野さんは、行場を失った。しかしテレビ創成期の貴重な功労者であるのは間違いない。
名タレントたちはそれぞれ人生を全うした。合掌
肥留間正明