『学歴貴族の栄光と挫折』(竹内洋著 中央公論新社)。「日本の近代」と題された全16巻のシリーズの中の第12巻である。このシリーズは、前半8巻は明治以来の通史、後半8巻はテーマ別で、学者が一人1巻ずつ分担して著している。筆者は数巻しか読了していないが、いずれも読み応えがある。
「軌道からずれた」永井荷風と芥川龍之介
本書は、永井荷風と芥川龍之介の話から始まる。著者は、高級官吏の長男で山の手階級出身でありながら、一高工科の試験に失敗して学歴貴族の道を踏み外した永井壮吉(荷風)と、下町の中流階級出身で府立三中から一高・東大に進み、学歴貴族に成り上がった芥川龍之介について、社会的軌道のねじれを指摘する。つまり、旧制高校・帝大という学歴貴族かどうかを横軸に、山の手階級出身か下町出身かという出自を縦軸に分類した場合、山の手出身であれば学歴貴族になり、下町出身であれば下町知識人になるのが標準的軌道だが、二人はその軌道からずれており、これにより、反俗や上昇知識人の「不安」を代償に、作家としての特権的ポジションを得たと指摘している。
この話を皮切りに学歴貴族の分析が種々の逸話を交えて幅広く展開する。特に興味深かった点を紹介すると、英国のパブリックスクールやオックスブリッジでは高額の授業料や面接試験の重視等によって能力主義が限定されていたのに対し、日本の旧制高校や帝大の入試は純粋の能力主義であった。しかし、英国でも実際には、成功した一部中産下層階級からの入学で社会的流動性が生じていたし、日本でも実際には、専門職、会社員等の新中間層を中心とした社会的再生産が生じていたと指摘する。
吉本隆明による丸山真男批判の深層
終章では、丸山真男と吉本隆明という対照的な知識人が登場する。戦後の旧制高校的教養主義復活期の論壇のスターである丸山は、一高・東大を経て東大法学部教授となった。これに対し、吉本は東京下町の船大工の三男に生まれ、工業高校、東工大と歩み、組合運動を経て論壇入りした。著者は、吉本の丸山批判について、理論闘争というより山の手知識人と下町知識人、正系学歴と傍系学歴の社会軌道にもとづくハビトゥス(気質)の反発と指摘する。
そして、丸山が東大教授として吊るし上げを食った大学紛争については、大学進学者の増による学歴インフレの中で、大衆化したサラリーマンという将来しか描けない学生の側の現実と、教養知識人という内面化した物語との不整合であると分析し、吉本が放出した学歴貴族文化への怨恨こそ運動を担った学生の感情を代弁するものとしている。
著者の指摘するように、大卒ということがエリートとしての社会的身分を意味しなくなった昭和40年代後半以降、学歴貴族文化としての教養主義は無意味化したのかもしれない。しかし、筆者の素朴な気持ちとしては、旧制高校の教養主義の芳香には憧れてしまうし、自省的に言えば、立法や行政を含めて実務に携わる者ほど古典や歴史などの教養があった方がいいような気がする。身分文化ではない新しい教養主義の議論が望まれる。
経済官庁(Ⅰ種職員)山科翠
J-CASTニュースの新書籍サイト「BOOKウォッチ」でも記事を公開中。