わたくしは、権力者の傍らで働く中央省庁の公務員の必読の古典として、マキアヴェッリの『君主論』(池田廉訳 中公文庫 2002年改版7刷)を迷わずあげる。文庫で本文約150頁と、割合短時間で「古典」を読み通したという満足感も得られる。
塩野七生氏の『海の都の物語』に並ぶ名著『わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡』(中央公論社 1987年・新潮文庫 全3巻2010年)も味わい深い。当時のフィレンツェ政府では、富裕な名門貴族が要職を占め、そうではない彼は、実務を行う「ノンキャリア官僚」であったとする。しかし、日本政府に試験で採用された事務職の国家公務員は、当時のマキアヴェッリと同じ立場だろう。「モーニング」連載の惣領冬実氏の『チェーザレ』(講談社 2006年~)も、マキアヴェッリが生きた時代を鮮やかに実感できる傑作漫画だ。
サマセット・モームが描いた「ナイーブさ」
また、塩野氏の描くやや端正な愛国者マキアヴェッリも素晴らしいが、サマセット・モームの小説「昔も今も」(天野隆司訳 ちくま文庫 2011年)では、とても職務熱心で、貞淑な妻がいるにもかかわらず女好き・酒好き、他から自分の優秀さを認めてもらいたいと願うナイーブさをみせる、なんとも人間臭いマキアヴェッリが活写される。黒子に徹し、表向き鉄面皮を装う公務員の本質を穿つ快作だ。塩野氏も自作で引用・紹介している。
「君主論」というと、従来は、「権謀術数」、あるいは、「目的のためには手段を選ばず」など悪いイメージにつながっている。愛読書だなどというと人間性が疑われる。しかし、最近の研究(NHK「100分de 名著」ブックス 武田好著『マキャベリ 君主論』2012年)は、「君主論」を、マキアヴェッリがフィレンツェ政府の実務に携わった15年の経験を踏まえて、自己の政治行動を理論化した証(あかし)の書としてまとめたものとみる。「敬愛されるよりも、恐れられる存在であれ」、「聡明な君主は有能な側近を選ぶ」、「中立を守るものは必ず滅びる」などの鋭い洞察には唸らされる。現代風にテイストしたものとしては、鹿島茂氏の「社長のためのマキアヴェリ入門」(中公文庫 2006年)がお勧めだ。
時の権力者に対して冷静な見方を保持するために
篤実な在野の歴史家として知られた故萩原延寿氏は、「君主論」を「権力者の『神経中枢』に肉薄し、その生理と病理を的確に解明した」と喝破する。氏は、「いい古されたことだが、マキャヴェリはけっしてマキャヴェリストではないし、『君主論』は、権力者にとって、自分の手の内が見すかされているだけに、必ずしも好都合な書物ではない」という(「声低く語れ 『林達夫著作集』」『書書周游』 文藝春秋社 1973年・萩原延寿集5 朝日新聞社 2008年)。時の権力者に対して冷静な見方を保持するためにもぜひ一読をお勧めする。
様々な権力者の盛衰をみた、マキアヴェッリの卓抜な洞察を紹介して終わりとしたい(上掲中公文庫「25 運命は人間の行動にどれほどの力をもつか、運命に対してどう抵抗したらよいか」)。
「……さて、結論をくだすとすれば、運命は変化するものである。人が自己流のやり方にこだわれば、運命と人の行き方が合致するばあいは成功するが、しないばあいは、不幸な目をみる。
わたしが考える見解はこうである。人は、慎重であるよりは、むしろ果断に進むほうがよい。なぜなら、運命は女神だから、彼女を征服しようとすれば、打ちのめし、突き飛ばす必要がある。運命は、冷静な行き方をする人より、こんな人の言いなりになってくれる。……」
経済官庁B(課長級 出向中)AK
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