霞ヶ関官僚が読む本
人生の「道草」といら立ち 漱石は「霞ヶ関」に効くか

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小説によく登場する「片づかない」の意味

   本書の第3章は「片づかないこの人生」と題されている。漱石の小説によく登場する「片づかない」という表現に関連して、著者は「針箱のうちは一生かたづかず」という柳多留の川柳を引き、「針箱や人生はなぜ片付かないのか。絶えず動きの中にあるからである」と説明する。そして、ヘラクレイトスの「万物流転」や横山大観の「生々流転」に触れつつ、「大部分の事柄は、片づかないまま、流転する」とした上で、「そもそも人間は完全に物事の片をつけることを望んでいないのではなかろうか」と問いかける。『明暗』の「自由はどこまで行っても幸福なものだ。そのかわりどこまで行っても片づかないものだ」という一節を引用し、これを「自由と幸福がなくては、この世は成り立たない。と同時に、不自由と不幸も覚悟しなければこの世には住めない」と解説する。別の篇では『道草』の「人間の運命はなかなか片づかないもんだな」という一節から説き起こして、「自分の力の及ばないことまで片付けようとするところに、予定調和を求める幻想がある」と結んでいる。

   『道草』のテーマは、おそらく、片付かない身辺雑事へのいら立ち、すなわち著者のいう「学者としてのライフワークに取り掛かりながら、雑事に翻弄されてなかなかそれが完成されず、道草ばかり食っている」ことへのいら立ちであろう。我々霞が関の住人も、健三のような身内との金絡みの雑事は別として、職業人生の中で、雑事雑用に翻弄されて、本来的業務に思うように時間を割けないという思いをしばしばする。どこまで行っても片づかない霞が関人生に幸福を感じられるようになれば、さすが漱石は人生に効くということになるのだが……。

経済官庁(I種職員)山科翠

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【霞ヶ関官僚が読む本】 現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で、「本や資料をどう読むか」、「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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