一編ごと冒頭に漱石作品の一節を引き、そこから思索を展開するエッセイ集である。『人生に効く漱石の言葉』(木原武一著 新潮選書)。題名にはお手軽感があるが、実は真正インテリによる上質な漱石論である。
あとがきによれば、神経衰弱に悩んだ漱石にとって、小説を書くこと自体「執筆療法」なのであり、その効能を多くの読者のために生かしたいという思いからの題名だとのことなのだが、題名倒れの書籍が多い中で、本書はその対極にある。
回避行動は自己防衛
本書の第1章は、「御前は畢竟何をしに世の中に生まれてきたのだ」という『道草』の一節から始まる。自らの内なる問いかけに主人公健三は「分らない」と叫ぶが、「途中で引懸っているのだろう」と内なる声は詰問する。これを著者は、「健三には途中で引懸っている理由が漠然と見えているに違いない」「真相に対峙するのを恐れている」と分析し、健三や『それから』の代助は、なぜ「人生の意味について考えはじめたものの、途中で引懸ってしまったのだろうか」と問題提起する。
そして、ラ・ロシュフコーの「太陽も死もじっと見つめることはできない」という箴言を引いて、健三や代助の回避行動は自己防衛だったと結論付けた上で、「見つめてはいけない太陽の光にこそ、人間を生かし、人生を豊かにするものが秘められている」とし、「それをわれわれの視力に耐えられるように示すのが文学の役割」だと説くのである。