卓見の策がなぜ…
航海遠略策は卓見であり、雅楽の切腹は、司馬遼太郎の指摘の通り、時代の狂気による圧殺というほかない。本書の後半に、東上する雅楽が、藩主に和宮降嫁反対を説くために西下する周布と出会う場面がある。周布は、航海遠略策による公武周旋について「昨日の善も明日の悪に変わる時勢じゃということの上に立って、今一度考え直してみたい」と言う。雅楽は「これは貴殿が真先に主張したではござらんか」と非難して喧嘩別れとなるが、この応酬は興味深い。周布は、政治には時として理性で説明できない凶暴な流れが生ずるものであり、これに抗うことはできないと言いたかったのだろうし、雅楽は、時流だからといって、内容・手続きともに完璧な正論を捨てて敗戦必至の破約攘夷に宗旨替えするなど非常識であり無責任だと言いたかったのであろう。因みに、雅楽自刃の翌年、禁門の変の責任からか、周布は自決している。
手元にある本書の奥付をみると1985年6月とある。以来時々読み返すが、そのたびに雅楽への思い入れが強くなるような気がする。
経済官庁(I種職員)山科翠
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