国の統計によると、日本で働く「幼稚園の先生」と「保育園の保育士(旧称・保母)」は合計46万人に達する(2010年時点)。今や社会に欠かすことができないこうした職業だが、いったいいつから存在しているのか、ご存じだろうか。
その歴史に迫る展覧会が、大洗町幕末と明治の博物館(茨城県)で開催される。「日本最初の保母」豊田芙雄(ふゆ)の生涯にスポットを当てた企画展だ。
夫が暗殺!そんな彼女を明治政府は…
芙雄は江戸末期の1845年、水戸藩士の娘として生を受けた。ペリー来航の8年前だ。伯父は尊王攘夷運動のイデオローグ・藤田東湖という家系で、彼女も学問好きな少女だったという。
18歳で、12歳年上の水戸藩士・豊田小太郎と結婚する。小太郎は「大日本史」の編纂にも携わるなど、将来有望な学者だった。ところが幕末の嵐が吹き荒れる中、小太郎は1866年に京都で暗殺されてしまう。
22歳で未亡人になった芙雄だがめげることなく、夫の遺志を継ごうと学問に没頭する。そんな彼女を明治政府も放っておかず、1875年に東京女子師範学校(現・お茶の水女子大)の教員に登用、さらに76年その付属幼稚園が開園すると、その保母も兼ねることとなった。同園は日本初の幼稚園で、必然的に芙雄は日本の保母第1号となった。
ヘレン・ケラーとも対面
さらに芙雄は、40台以降もエネルギッシュに活動する。1887年には43歳にしてヨーロッパへ留学、3年にわたって女子教育について学んだ。帰国後は水戸高等女学校(現・茨城県立水戸第二高等学校)の教師を78歳まで務め上げ、さらにその後もいくつかの学校で教壇に立ち続ける。1925年には各界の著名人が集まっての高齢祝賀会があったが、そこからさらに15年以上も壮健で、1937年には来日したヘレン・ケラーとも対面した。
97歳の長寿で亡くなったのは、太平洋戦争が勃発した1941年。日本の近代を丸ごと生き抜いたわけで、大河ドラマ、朝ドラになってもおかしくなさそうな人生だ。
同企画展は2012年10月20日~12月11日まで開催される。入館料は一般700円。