「日本最初の保母さん」は茨城県人 97年の人生は波乱万丈だった!

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   国の統計によると、日本で働く「幼稚園の先生」と「保育園の保育士(旧称・保母)」は合計46万人に達する(2010年時点)。今や社会に欠かすことができないこうした職業だが、いったいいつから存在しているのか、ご存じだろうか。

   その歴史に迫る展覧会が、大洗町幕末と明治の博物館(茨城県)で開催される。「日本最初の保母」豊田芙雄(ふゆ)の生涯にスポットを当てた企画展だ。

夫が暗殺!そんな彼女を明治政府は…

10月20日から開催される豊田芙雄展。彼女を取り上げた展覧会は初の試みだという
10月20日から開催される豊田芙雄展。彼女を取り上げた展覧会は初の試みだという

   芙雄は江戸末期の1845年、水戸藩士の娘として生を受けた。ペリー来航の8年前だ。伯父は尊王攘夷運動のイデオローグ・藤田東湖という家系で、彼女も学問好きな少女だったという。

   18歳で、12歳年上の水戸藩士・豊田小太郎と結婚する。小太郎は「大日本史」の編纂にも携わるなど、将来有望な学者だった。ところが幕末の嵐が吹き荒れる中、小太郎は1866年に京都で暗殺されてしまう。

   22歳で未亡人になった芙雄だがめげることなく、夫の遺志を継ごうと学問に没頭する。そんな彼女を明治政府も放っておかず、1875年に東京女子師範学校(現・お茶の水女子大)の教員に登用、さらに76年その付属幼稚園が開園すると、その保母も兼ねることとなった。同園は日本初の幼稚園で、必然的に芙雄は日本の保母第1号となった。

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