フクシマ原発事故の記者会見で、政府や東電がのらりくらりと追及をかわし、ケムにまいて逃げる対応に、国民は辟易してきて久しい。彼ら日本のリーダーたちがどういう話法を用いているかを根本から解き明かした本が、『もう「東大話法」にはだまされない 「立場主義」エリートの欺瞞を見抜く』(安富歩著 講談社+α新書 2012年9月刊)だ。
「我が国は…」「我が社は…」でオシマイ!?
著者は現役の東大教授だが、本書で紹介している「東大話法」とは、東大出身者のみならず、東大を代表とする日本社会の権威に依存する人たちが好んで使う話法のことである。受験勉強で鍛えた高速事務処理能力で、よくわからないうちに自分の都合のいい方向に話をもっていき、すぐ謝ったり公平さを装ったりしながらも、さらさら誠意がないエリートたちの法則のことだという。
原発事故でメディアに登場した御用学者たちは、事故を起こしたのは『我が国』だからと、傍観者のように『原発は安全(なはず)だ』と言い続けた。
また、日本の企業では、使い込みのような個人的な犯罪は追及されるが、明らかにムダな新規事業など、企業ぐるみで行った失策は、責任の所在を曖昧にする。"みんなでやった失敗"、つまり悪事を微分化することで、責任と罪悪感を分散するのだ。そんな悪事の微分化に手を染める企業人が使いたがるのが、『弊社といたしましては』『我が社においては』である。
さらに、「東大話法」の代表例というべき「我が国は」「我が社は」の使い手の口癖に、「女房がさ~」「カミさんがねえ~」があると著者はいう。
これは妻を愛しているわけではなく、「自分はこう思う」という主体性が欠落した、夫という立場を守るためだけに発言している「立場主義者」の「東大話法」なのである。
本書では、「東大話法」に呪縛された「立場主義者」とどう向き合うべきかを、具体例をもって紹介している。今の日本に対して閉塞感や欺瞞性を感じている人たちに、ぜひおすすめしたい本である。