「異常」示すが、それ自体は「正常な反応」
「自分の力ではどうしようもない事態に陥ったとき」の精神状態は興味深い。ヒトは狂気に囲まれると自らも狂気の渦に身を投げ込むことでのみ精神的に救われるのだろう。アウシュビッツでガス室送りを逃れるために土壇場で死にもの狂いで仲間を差し出す者はまだいいにしても、自ら囚人でありながらナチス親衛隊の手下となって親衛隊以上に囚人を痛めつけた「カポー」(囚人を監視する囚人」)や、ツチ族に助けられてきたのにその虐殺に加担するフツ族などは、人間の条理からすると許されない「異常な精神状態を示しているが、それ自体は正常な反応であって、このような状況との関連において見るかぎり、典型的な感情反応」(『夜と霧』)なのだ。
一方、著者、すなわち、イスラム教徒であるチェチェン人医師や敬虔なカソリック教徒であるツチ族の女性、そしてアウシュビッツを生き延びたユダヤ人精神科医は、いずれも今現在自分が置かれている現実と精神的な世界を遊離させ、自らの精神をある意味“神”や“哲学”の世界にまで高めてしまう。そうすることによって、精神的正常性を保つとともにヒトとして普遍的に正しい理性的判断と行動をする。
通常そういう「いい人は帰ってこなかった」(『夜と霧』)と考えると、同様の精神状態を保ちつつ消えていった人間も実は多数いたに違いない。それが抹殺された側だったか抹殺する側だったかを問わず。
集団心理を煽るメディアや国家の在り方についても考えさせられる。チェチェンでは外国メディアが締め出され、世界はおろかロシア国民にも「現実」は知らされず、モスクワでのテロ事件等を契機にロシア政府はチェチェン人の殲滅を正当化した。
ルワンダではツチ族をゴキブリ呼ばわりし、「ツチの蛇どもは我々を殺そうとたくらんでいる。最初に我々が彼らを殺すのだ。みつけ次第殺せ。一人たりとも生かしておくな。老人も赤ん坊もだ。彼らはみんな蛇どもだ」と国立ラジオ局が報道する。少しでも理性的な人間だったらそういった報道に疑念を抱き、その裏に何が隠されているのか探ろうとするのではないかと思うのだが、どうやらそういうことを考えるヒトは少数派らしい。