「思い出したくない、忘れてしまいたい」という感情
五輪女子サッカー日米決勝戦の背後で、ツイッターのトレンドワードに「pearl harbor(真珠湾)」、「Jap(日本人の蔑称)」という言葉が上がった。ことほどさように、一定数のアメリカ人が「真珠湾攻撃」を屈辱的な出来事として記憶している。
一方、日本人の間では敗戦の衝撃とGHQのもと「他動的に作られた歴史観」により、太平洋戦争を「思い出したくない、忘れてしまいたい」という感情が長らく働いてきた。
「戦後の日本は、ナショナリズムや軍事をタブーに」し、戦争について事実の公開や分析を尽くさず、本質をとらえ損なった。その結果、極東アジアの一部の国家に対して世界でも例を見ない回数の謝罪を「なんのためかわからない」まま続けていると著者は指摘する。
知らないゆえの想像力の欠如は軽率な言動を招き、謝罪との矛盾に、相手国はかえって不信感を広げてしまうというのだ。
だからこそ「(戦争を体験していない)子や孫の世代の想像力を鍛えるべく、自分たちの記憶や体験を伝えていく務めがある」と著者は本書の趣旨を説明する。
過去の記憶が国家間の争点に持ち上がってくることは珍しいことではない。戦争をどう捉え、周辺国との関係を含めた国の未来をどうつくっていくのか――「同時代史」が「歴史」にかわっていくなかで、日本人はようやく、考えるべき岐路に立ったのかもしれない。
2012年8月1日、刊行された。