「大震災」から1年たった今なにができるか? 冨田 晃の答えは『いのり』

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心の変遷が選んだ「不屈の民」

   今度のアルバム『いのり』のメインの曲でもある「不屈の民」は、チリのヌエバ・カンシオン(新しい歌)と呼ばれる曲の中でも、中南米ではポピュラーな「革命歌」として知られる。そのタイトルを東北の人々に重ね合わせているのだということは、良く分かるのだが、冨田自身、中南米のホンジュラスで活動していた時期も長く、中南米革命の最前線を生きてきてきた。そうしたこともあっての選曲だったのだろうか?

冨田「その前に、まずそう簡単に『頑張ろう』という気持ちにはなれないということがある。実際、悲しくとてつもなく辛い人々が大勢いる、そんなに簡単に『頑張ろう』とも言えないし、頑張れるわけがない。まず、音楽はいらない。音もいらない。できるだけ刺激の無いほうがいい。
   それが徐々に音なら許せるという思いになり、音楽も許せるようになる。なにも要らないという状態から少し脱却した、そうした人々に寄り添っていけるものが作りたかったのだと思う。
   選曲に関しては、「不屈の民」は「人々は団結し決して負けない」という歌詞を持っている曲。僕は正直、連帯だのということが好きではない、一匹狼タイプ。ただ、今回の出来事に対してだけは、さすがに参った。この曲は、人と繋がりたいという人間の本質的な欲求を感じさせるもので、実はそれがないと人は生きていけない、それが大切だという気になった。そして、この曲がおのずと自分の中に湧き上がってきた」

   ただ「不屈の民」は最後に選曲されたものだという。

冨田「初めはバーバーの「弦楽のためのアダージョ」やラフマニノフの「ヴォカリーズ」、マーラーの「アダージェット」といった追悼曲からつくり始めた。それらは自分自身の思いを反映していたのかもしれないが、曲想としては重い。皆さんに聴いてもらうには、そして、明日にむかって力づよく生きていくにはと、「不屈の民」が出てきた」

   「心の変化としては」と冨田は続けた。

冨田「寄り添うことからはじまって、作品の世界を貫くストーリーが必要とするものとして「不屈の民」があった」

◆加藤 普(かとう・あきら)プロフィール
1949年島根県生まれ。早稲田大学中退。フリーランスのライター・編集者として多くの出版物の創刊・制作に関わる。70~80年代の代表的音楽誌・ロッキンFの創刊メンバー&副編、編集長代行。現在、新星堂フリーペーパー・DROPSのチーフ・ライター&エディター。

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