先日、部屋の掃除をしていると、JK時代の卒業アルバムが出てきました。
パラパラとその卒業アルバムをめくりながら、そっか、もうそんな時期か…と思うと、ふと頭をよぎりました。
「自分が親になったら子供に見せたい」
現代の卒業アルバムの個人写真ってどんな感じなんだろう…。
過去と現在では、どう変化しているのだろう…。
そこで調査を行うべく、まず、現代のギャル達の間で卒業アルバムはどういった意味を持っているのかを聞いてみました。
『卒業アルバムは自分の三年間の作品!』
『自分が親になったら子供に見せたいもの!ギャルやっていたっていう証だからね』
『卒業の思い出でもあるけど、ギャルを表現出来るもの!』
こういった意見を聞くことが出来、ギャルの間で卒業アルバムは、自分の作品集であり、ギャルを貫いてきた証明書といった意味が込められていることが分かりました。
正直、私達のJK時代で卒業アルバム=卒業のちょっとした思い出といった感覚だけだったので、過去のギャルと現代のギャルでこのように認識が違うことが分かりました。
では、そこまで現代のギャル達にとって気合いの入るものならば、現代ギャル達は個人写真の撮影当日はどう迎えたのでしょうか?
『三年間で一番盛れてる自分で撮りたかったから、朝早くセットサロンに行ったよ』
『撮影の時に映えるようなシャドウとかグロスとか…購入しまくった』
『友達と予行練習して、どの角度が盛れて写るか事前に打ち合わせした』
このような声を聞くことが出来、人一倍、卒業アルバムに気合いの入れる現代ギャルにとっては、セットサロンで髪を盛ったり、新しいコスメを購入したり…、はたまた、写真の盛れる角度チェックなど事前準備に余念がなかったようです。
私の時代にはさすがにそこまでするギャルはおらず、仮にしたとしても、いつもより丁寧にする程度でした。
誰の前でも恥ずかしがらずに笑顔
では、なぜ現代のギャル達はここまで卒業アルバムの個人写真に対し、ここまでしてでもこだわりを持つのでしょうか。
ギャル界を10年見てきた、私はこう分析します。
【その1】現代のギャルは写真撮影に慣れている。
これはこれまでにも何度もお伝えしておりますが、ブログやSNSなどで、自撮りした写メをアップしていることが関係しており、多い子では、ブログ用として、1日に50枚近くの写メを盛れるまで撮る子もいます。だからこそ、1枚の個人写真に掛ける思いも人一倍強いのだと思います。常に盛りを極めるギャルだからこその思いと言えるでしょう。
【その2】写メやカメラに慣れているからこそ、誰の前でも恥ずかしがらずに笑える。
ウェブを通し常に自分のことを公表することに慣れているからこそ、写メやカメラにも抵抗がありません。だからこそ、その場に誰がいても恥ずかしがらずに笑え、同様に自分が盛れる角度を指定してでもキメの角度で撮りたいのだと感るのだと思います。つまり、現代のギャルはそのような行動に対し「キメている」といった感覚は持っていないのです。
【その3】可愛く撮りたい!ということを恥ずかしがらずに言える、思える。
私がJKだった時代では、確かに個人撮影の時は心の中では「可愛く撮れればいいなぁ」という気持ちもありました。ただ、その時には自分でその言葉を発さないのが鉄則でした。つまり、発することで周囲から勘違いしているや自意識過剰といったように思われたくないという感情が強かったのだと思います。つまり、現代ギャルのように思ってはいても、口には出さないというのがルールでした。しかし、現代ギャルは違います。自分が笑顔で可愛く、キメキメで撮ることにも恥ずかしいと思わないのはもちろん「盛って撮りたい!載りたい!」ということも口に出して言えるのが特長です。
「可愛く撮りたい=盛って撮りたいと堂々と言える」
これらをまとめると、
過去のギャル=「友達同士では撮るがさほど自撮りはしない」「キメているとは思われたくない」「可愛く撮りたいとは言わなかった(クールな自分を演出したかった)」
現代のギャル=「友達同士で撮るのはもちろん自撮りは当たり前」「周囲に誰かいても直ぐ笑顔でポージングが出来る」「可愛く撮りたい=盛って撮りたいと堂々と言える」
この3点こそ、過去のギャルと現代のギャルの大きな違いであり、卒業アルバムの個人写真に対してかける思いの違いが生まれた要因だと思われます。
これまで時代とともにギャル達のファッションやメイクは変化を遂げてきたことをお伝えしてきましたが、今回の卒業アルバムの調査を通し、ギャル達の行動特性も如実に変化していることが分かる結果となりました。
GRP編集長・まぁ~さ