美術品「輸出」が国是だった時代
約90点の出品作の大半は、日本に残っていたら、国宝あるいは重文という作品ばかり。実はフェノロサ、天心、ビゲローらは明治21年、政府が関西を中心に日本の文化財の徹底調査をしたときの中心的なメンバーで、この調査結果が後に「国宝」を決めるときの重要な判断材料になったという。当時の日本は「美術品の輸出を伸ばすことが国是となっていた時代」(堀田謹吾著「名品流転」)。貴重な文化財がフェノロサ、天心、ビゲローらが深く関わったボストン美術館に集まったのは必然だったかもしれない。同展は6月10日まで。