中村とうようさん自死の意味 「音楽評論家」もういらないのか?

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音楽を評論することは無意味なのか?

   音楽評論というジャンルは、すでに20年も前に枯死している。音楽を評論するということの無意味さをリスナーが声高に言い始めた時があった。「好き嫌いで良いじゃないか」と。それはその通りで、ことに音楽という嗜好品に近い表現はそれ以外の存在意義もみいだせないほど。ただ、評論の対象になリうる音楽というものも存在するのは確かだ。

   中村とうようさんは、音楽評論という表現の場が失われたことに絶望したわけではないだろう。無理矢理にそうした場をこじ開けることだって、中村さんならできたはず。本当に何があったのだろう?

   自死することの意味は、限りなく重い。例えどんな場合であっても、決して選んではならないと、多くの宗教は戒める。それを敢えて選ばなければならないほど切迫した状況とはどんな状況だったのだろう?

   ただ、ご冥福を祈るしかないが、その意味を考えざるを得ない。

   中村さんの死で音楽評論という表現が、決定的に死滅したように思う。

加藤 普

1949年島根県生まれ。早稲田大学中退。フリーランスのライター・編集者として多くの出版物の創刊・制作に関わる。70~80年代の代表的音楽誌・ロッキンFの創刊メンバー&副編、編集長代行。現在、新星堂フリーペーパー・DROPSのチーフ・ライター&エディター。
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