この数年、テレビ画面で見かけなくなっていた俳優がいる。根津甚八さんだ。出世作となったNHK大河ドラマ「黄金の日日」での石川五右衛門役は今でも鮮烈に人々の記憶に残っているに違いない。その後も、テレビ、映画で大活躍。渋い二枚目として多くの女性ファンを獲得していた。1994年に仁香さんと結婚、一男をもうけ、私生活も順風満帆だったはずなのだが・・・。
じつは、根津さんは「うつ」と闘う日々を送っていたのだ。2001年に発症した「右眼下直筋肥大」が発端だった。下まぶたが垂れ下がり、物が二重に見えるという症状に見舞われ、手術をするが、そこに持病の腰痛がおりかさなった。俳優としての将来に不安を感じたのだろう。根津さんの心は閉塞し、家族以外の人々との交流は絶たれた。
2010年9月初め、根津さんの「俳優業引退」が発表された。演出や脚本の仕事はするが、もう表舞台には出ないのだという。仁香さんが新刊本『根津甚八』(講談社)を上梓したのはそれから数週間後のことだ。
最初は、根津さんに自叙伝の執筆話が持ち込まれたが、本人が断ると、仁香さんは「自分が書くのはどうか」と提案し、出版へとつながった。同書では、仁香さんが根津さんの半生を追うような形で関わりのあった多くの人を取材し、「俳優・根津甚八」「人間・根津甚八」を浮き彫りにしている。なかでも、「状況劇場」時代の恩師で、根津甚八の名づけ親である唐十郎さんから引き出している話は実に興味深い。
そして、「最後に」としたためられた本人の言葉のなかに、こんな一文がある。
「自分が歩んできた道に悔いは微塵もない。俳優としての行き方を全うできたことを、誇りに思っている」
単行本(ソフトカバー)、250ページ。定価1470円。