ニューヨークで迎えた初めての冬、額に灰で十字を描いた集団に出会いました。新興宗教かいな?と、ドッキリしたのを思い出します。
これは、復活祭の46日前の水曜日に、最後には土に返る人間のはかなさをあらわす意味で棕櫚の灰で額に十字を描いてもらうキリスト教の行事だったのです。
そして、この「灰の水曜日」から、イエスが荒野をさまよった期間に従って、信者はレントに入ります。まわりにいるカトリックの友人は一人がレッドミート、もう一人は、酒好きで有名なアイリッシュ系アメリカ人なのにアルコールを絶っています。影響されやすい私は、クリスチャンでもないのにお肉絶ち、菜食生活に挑戦中であります。
劇的に変化していた「菜食主義のメニュー」
「日本人だから、肉抜きなんてへっちゃらよ~」と意気揚々と突入したレント。確かに自炊する分には、菜食はまったく問題はなかったのです。ところが、外食となると、ちょっと事情が変わってきました。レストランの肉なしメニューのなんと貧弱なことか。
こんな機会でもないとわざわざ行かないベジタリアンレストランに、足を運びました。食べもしないで、きっとおいしくなかろうと判断した浅はかさを反省。かつては、見栄えが悪くても、おいしくなくても受け入れられてきた菜食主義のメニューは劇的に変化していたのです。
ニューヨークには、ビーガンと呼ばれる卵もミルクも食べない絶対菜食主義者や、酵素が破壊されない48度以下で調理したローフードのみを食べる人などもいて、それぞれの専門のレストランも繁盛しています。驚いたことに、これらのレストランで食事をしている人のほとんどは、ベジタリアンでもなんでもない普通の食生活の人達だったのです。
「健康のために食べてみたらおいしかったので、それ以来、ここに通ってるの。代用品だと思って食べちゃ駄目よ。食事は、楽しまなきゃ」隣のテーブルで食事をしていたおばさんは、ついでにデザートのおすすめケーキを教えてくれました。