文藝春秋は、新書『生命保険のカラクリ』(岩瀬大輔著)の全文が収録されたPDFファイルをインターネットで無料公開する試みを始めた。同書は09年10月に出版され、今も書店に並んでいる。これまで新刊書籍が発売前のキャンペーンとして全文公開された例はあるが、今回は「既刊本」の電子版が無料配布されるという点で注目される。キンドルやiPadの登場で電子書籍への関心が高まるなか、老舗出版社が業界の常識を破る冒険に打って出た。
メ―ルアドレスの登録不要、印刷も自由
ライフネット生命副社長の岩瀬大輔さんが書いた『生命保険のカラクリ』の電子版は2月26日から4月15日まで、文春のサイトから無料でダウンロードできる。性別と年代を答えるだけでよく、メールアドレスの登録やアンケートへの回答は必須ではない。配布されるのはPDFファイルで、最初の表題ページから最後の奥付、既刊書紹介まで全ページをパソコンで読むことができる。印刷も自由という大判振る舞いだ。
書籍の電子版の無料全文公開といえば、『フリー <無料>からお金を生み出す新戦略』のNHK出版が09年11月に実施した販促キャンペーンがさきがけといえる。『フリー』は発売前に1万部限定で無料ダウンロードを認めたが、印刷はできなかった。しかもメールアドレスかツイッターのアカウントを登録する必要があった。
「『フリー』は参考にしているが、いくつかの縛りがあった。ネットユーザーには縛りがないほうがいいだろうということで、今回のような方式にして、ダウンロード数も限定しないようにした」
と文春新書の飯窪成幸編集長は話す。ネットで無料公開することによって認知度を高め、書籍の売り上げをさらに伸ばすことを狙っている。しかし、
「今回は我々の常識からしたら冒険。すべての本でこのような手法を考えているわけではない」
という。
「半歩前に行こう」というスピリットで実験に参加
『生命保険のカラクリ』を全文公開することに決めたのは、ネットとの親和性が高いとみているからだ。著者の岩瀬さんはネット専業生保の経営者で、ブログやツイッターも積極的に活用しているため、ネットでの知名度が高い。同書の編集を担当した樋渡優子さんは、
「この本はここまで6刷、2万9000部と好調だが、その1割以上がアマゾンで売れている。約700点ある文春新書のなかで、アマゾンの売り上げは4か月連続1位。従来の本とは違う特異な動き方をしている」
と同書の特徴を説明する。本の内容も時事ネタではなく、生命保険のしくみを分かりやすく解説したものなので、PDFファイルを読んで気に入ってくれたら「家庭に1冊置いておこう」と書籍を購入してくれるのではないか、という期待もある。
書籍の無料公開となると、著者が二の足を踏む場合も多いだろう。だが、今回「全文無料公開」を提案したのは、執筆した岩瀬さんだ。
「生命保険という商品は、保険会社と顧客の間に情報の非対称性があるため、アメリカでは保険契約の際にバイヤーズガイドの交付が義務づけられている。この本を通して、できるだけ多くの人に正しい保険の仕組みを知ってもらいたい」
と動機を語る。その岩瀬さんは「PDFをネットで公開すれば、書店に行かない人も『立ち読み』ができるので、売り上げがもっと増えるはず」と強気だが、飯窪編集長は「やってみないとわからない」と慎重な見方だ。編集担当の樋渡さんも
「最近の電子書籍に向かう流れは『黒船来航』みたいな感じで、震えている」
と緊張感を隠さない。だが、その一方で「一丸となって船出するというワクワクする気持ちもある」という。
「従来のようにみんなが新聞を読んでいて、新聞広告を出していればいいという時代ではないというのはわかっている。今回は『半歩前に行こう』というスピリットで、壮大な実験に参加しようということ。そう考えると、面白い時代なのかなと思う」