作家のマーク・トウェイン、オー・ヘンリー、アーサー・ミラー、テネシー・ウィリアムス、詩人のディラン・トーマス、俳優のイーサン・ホーク、デニス・ホッパー、ジェーン・フォンダ。音楽界からは、パティ・スミス、エディット・ピアフ、ジョニー・ミッチェル、ボブ・ディラン、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリクス、シド・ビシャス。その他、クリスト、フリーダ・カーロ。写真家集団マグナムのアンリ・カルティエ-ブレッソン、写真家のロバート・メイプルソープ。これらの名前をみて、ニューヨークのとある場所に結び付けられた人がいたらニューヨーク観光検定試験(あるとしたら)に合格間違いなし!
これらは、マンハッタンの23丁目222番地に立地する「ホテル・チェルシー」に住んだ人々の名前のほんの一部なのです。
ディラン・トーマスは205号室の住人だった
この建物は、1884年ニューヨーク初の分譲アパートとして建設され、当時、NYで一番高いビルでした。各アパートには寝室が7室、各部屋に暖炉がり、耐火防音設計で壁は70cmもありました。1905年、ホテルに改築され、現在は、国の史跡(ナショナルランドマーク)にも指定されています。
205号室に住んでいたディラン・トーマスは、ビレッジのホワイトホースタバーンで、ウィスキーを18杯も飲んだ後、帰らぬ人に。そのディラン・トーマスに憧れてここに泊まったのは、ミネソタからやってきたロバート・ジンマーマン青年。彼は、後に名前をボブ・ディランにかえました。そのボブ・ディランの泊まったホテルということで、セックスピストルズのシド・ビシャスがロンドンから当ホテルの100号室に落ち着き、この部屋で恋人を刺殺、裁判の前に自身もヘロインのオーバードースで死んでしまいました。
毎回、変名で泊まったオー・ヘンリーは、47年の人生で250編の短編小説を書き、グリニッジビレッジを舞台にした「最後の一葉」は、このホテルで誕生しました。最上階のペントハウスにある1008号室には、21年間アーサー・C・クラークが住み、ここで「2001年宇宙の旅」を書きあげ、スタンリー・キューブリックも映画の共同作業のために、同ホテルに滞在しました。この他、トーマス・ウルフが「汝、再び故郷に帰れず」を、アーサー・ミラーは、「転落のあとに」を、ここで仕上げました。ピート・ハミルは、「作家とは孤独な職業で、それに耐えられず酒やドラッグにおぼれたりする者もいるが、このホテルはパリのカフェのようだった」と、書いています。