親鸞聖人、御影堂へ「還る」 京都・東本願寺で還座式

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   真宗大谷派・東本願寺(京都市)で2009年9月30日、宗祖・親鸞聖人の木像の御真影(ごしんねい)を御影堂(ごえいどう)へ戻す「還座(げんざ)式」が行われた。2004年から続いていた御影堂の修復工事が、昨年末に完了。今年8月には竣工式が行われ、仮の安置場所だった阿弥陀堂から御真影を戻す態勢が整った。

「これほど幸せなことはありません」

還座式では、教えの象徴である親鸞聖人の御真影(木像)を、修復されたばかりの御影堂へ戻した
還座式では、教えの象徴である親鸞聖人の御真影(木像)を、修復されたばかりの御影堂へ戻した

   この日は全国から約1万2000人の門徒が、降りしきる雨の中、午前中から詰めかけた。阿弥陀堂で勤行が行われた後、御真影を乗せた輿(こし)を僧侶10人が担いで出発。雅楽の演奏者を先頭に100人ほどが列をつくり、手を合わせて拝む門徒の間を通って隣にある御影堂までゆっくりと進んだ。

   御真影は、御影堂内の御厨子の前で一度下ろされ、金障子が閉じられて中の様子が見えなくなった。しばらく後に障子が徐々に開くと、御厨子に安置された御真影が堂内の門徒たちと向き合う形になって現れた。その瞬間、「おおーっ」という声が堂内に響き、その姿を目に焼き付けようと多くの人がじっと見つめていた。

   門徒を代表して感想を述べた富山県・高岡教区の中居けい子さんは、還座式に参加できたことを「これほど幸せなことはありません」と感慨深げ。体調を崩し、一時は来ることをあきらめかけたが、周囲の励ましや見舞いを受けて、自分がいかに多くの人に支えられているかを実感したという。「親鸞聖人のお顔を見て、祖父や父に会えたような気がします」と、時折声を詰まらせながら話した。

御影堂と阿弥陀堂を大規模修復

御真影をひと目でも拝もうと、還座式には全国から門徒1万2千人が集まり、熱心に念仏を唱えた
御真影をひと目でも拝もうと、還座式には全国から門徒1万2千人が集まり、熱心に念仏を唱えた

   還座式は、2011年に迎える宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌(ごえんき)までの「お待ち受け」との位置づけだ。御遠忌とは、50年ごとに行われる法要を指し、東本願寺では親鸞聖人と蓮如上人に対して営まれている。御影堂と阿弥陀堂の大規模な修復工事も、今回の御遠忌の特別記念事業となっている。

   本願寺は、親鸞聖人の曾孫の覚如上人の下で1321年に設立した。しかし、本願寺の第8代・蓮如上人の時代には比叡山の衆徒によって壊滅、移転を余儀なくされる。京都・山科で再建された後、本願寺は大坂(現・大阪)に移されるが、織田信長による攻撃を受けて顕如上人は和睦、大坂を後にする。信長の死後、豊臣秀吉は本願寺に京都・七条掘川の土地を寄進するが、継いだのは顕如上人の三男・准如上人だった。徳川家康の治世になると、今度は顕如上人の長男・教如上人に1602年、京都・烏丸六条の土地が寄進され、新たに本願寺を建立。本願寺が東西に分かれることになった。

   東本願寺は、浄土真宗・真宗大谷派の本山。御影堂と阿弥陀堂は、東西に分派して間もない1611年に建てられたが、以後4度の火災で焼失し、現在のものは1895年に再建された。本格的な修復工事は、今回が初めてとなる。

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