あの「憂歌団」内田勘太郎  新アルバムに滲む沖縄の色

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サマータイムブルース

内田 勘太郎
『サマータイムブルース』
OMCA-1099
2800円
1月18日発売
オーマガトキ/コロムビアミュージックエンタテインメント


   1970年代半ばだったか、関西にはブルースをベースにしたバンドの一群がいたのだが、日本のロックの中で彼等は特異であり、かつ大きな存在だった。ことにサウス・トゥ・サウスの上田正樹、有山淳二(現在はじゅんじ)等は、大阪弁をそのままブルースコードに乗せて、ロックしていた。2人の作った『ぼちぼちいこか』には、「大阪へ出てきてから」、「あこがれの北新地」、「Come onおばはん」、「梅田からナンバまで」、「俺の借金全部でなんぼや」などの名曲が並んでいる。こてこての浪花ブルースで、なぜか大阪弁はブルースによくあっていた。もちろんそれ以前に、関西からは岡林信康や高田渡等の、多くのフォークシンガーが誕生していたが、言ってみれば

   一皮剥けて弾けるような関西がそこにはあった。

   1975~6年、その関西ブルースシーンの中から、あるグループが頭角を現してきた。そして、瞬く間に日本中のロックファンを惹きつけてしまったのだ。それが憂歌団だった。まずヴォーカル・木村秀勝(現在、充揮)の「天使のダミ声」と評される何とも表現しがたいヴォーカル、声にやられた。そしてしばらく聴いていくうちに、リズム隊のアコースティック・ブルースギターに聴き入るようになった。カルピスのビンを使ったボトルネック奏法はじめ、それは尋常ならざるレベルだった。そのギタリストこそ、内田勘太郎だった。あまりの面白さ、完成度にインタビューをねじ込んだ記憶がある。

   内田勘太郎は、憂歌団の名づけ親だ。ブルースバンドを直訳しただけだが、インパクトのあるバンド名だった。憂歌団そのものの活動は、木村、内田に花岡献治(B)、島田和夫(Ds)の不動のメンバーで、1970年の結成から1998年の『冬眠宣言』まで28年に及ぶ。その後、憂歌団としての活動はない。

   内田は、そこから個人の活動キャリアを積み上げてきた。アルバムもこれまでに5枚発表している。そして6枚目にあたる最新作『サマータイムブルース』が、1月21日にリリースされた。このアルバムがまた、力の抜けた良いアルバム。内田勘太郎印とでもいえそうなアコースティック・ブルースギタープレイは圧巻。中でも特徴的なのは、内田が全曲歌っていること。決して上手くはないが味のある歌を披露している。

   そして付け加えるなら、現在沖縄に住んでいる内田に、沖縄の風土が色濃く影響を与えていること。10年の活動の集大成と、内田自身が位置づけるアルバムには、ブルースと、内田と、沖縄の魂がチャンプルーし、良い味を出している。

【サマータイムブルース  収録曲】
1.ご陽気に
2.サマータイムブルース
3.グッバイ クロスロード
4.ひたすらハイウェイ
5.オンリィ ユー
6.Do Did Done
7.一本道
8.オイラ悶絶
9.地味な夜
10.そんなもんだろ
11.美らフクギの林から
12.列車に揺られて
13.嫌んなった
14.オキナワ Bright Light



◆加藤 普(かとう・あきら)プロフィール
1949年島根県生まれ。早稲田大学中退。フリーランスのライター・編集者として多くの出版物の創刊・制作に関わる。70~80年代の代表的音楽誌・ロッキンFの創刊メンバー&副編、編集長代行。現在、新星堂フリーペーパー・DROPSのチーフ・ライター&エディター。

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