吉岡徳仁さんを改めて紹介する必要はないだろう。今、日本が世界に輸出できる才能であり、彼に匹敵するだけの精密なアイデアを持っている人は世界的に見てもなかなかいないのではないだろうか。21_21 DESIGN SIGHTで「ヴィーナス-結晶の椅子」を1か月ぶりに改めて見て、思った。
液体の中で今なお育ち、放つ輝き
独特な雰囲気が漂う「セカンド・ネイチャー」展の"吉岡スペース"
「結晶の椅子」は何を語りかける?
吉岡徳仁ディレクション「セカンド・ネイチャー」展については、開会からすぐに書くのをやめて、1か月の変化を感じてから書きたかった。結晶は成長していた。
展覧会の全貌を見ると他の作家の作品もあるし、それも吉岡さんがディレクションをしているわけだけれど、今日の話は吉岡さんに集中したい。会場の一番大きな空間をその吉岡さんの作品が占めている。入ると天井から下がった無数の白い繊維に驚き、やがて包まれる。そして無数の結晶によって形を成す椅子が置かれている。これこそ「ヴィーナス-結晶の椅子」だ。大きく育った結晶もあれば小さな結晶が並ぶ場所もある。液体の中に過飽和な状態である物質が存在すると、その物質は何かのきっかけで結晶化を始める。吉岡さんは椅子の原型となるものを溶液の中に入れる。これがきっかけだ。後は自然が結晶を育てていく。理詰めなのに結果は当人の預り知らぬものとなる。
そして会場に並ぶ結晶たちは美しく輝き、液体の中で今なお育っている作品は別の輝きを放っている。今、そこで結晶は成長しつつあるのだ。デザインとアートはこのところ融合しつつあると常々感じているのだけれど、その最たるプレゼンテーションがここにある。どんなに努力しようとも二度と同じ椅子はできない。しかし、その椅子はどれだけ予想を離れた結果となろうとも、吉岡さんの作品の範囲にある。
本来自然の結晶というのは成長が遅い。鉱物の持つ美しさはまさにこの時間が大きな要素となっている。何千年という年月がひとつの結晶になっている。もちろん塩のように条件さえ整えばすぐに結晶になるものもある。しかし通常は千年単位。自然の結晶というのは長い時間の中で様々な偶然により育てられる。一方、生命体というのは不思議な力を持っていて、骨や外骨格をいとも簡単に作り出していく。生命のないところでは果てしない時間が必要だった過程が生命によって一挙に短縮される。この展覧会でもこうした成長過程が様々なところで登場している。
坂井直樹