環境技術なくしてクルマの未来はない
環境対策はどのように進んでいくのか(写真はホンダ「FCXクラリティ」)
これらのコメントは、そのまま"「未来のクルマ」を定義する"という第3回の論議につながっていく。多くのコメントが、未来のクルマに「環境保護」と「安全」を求めていた。
「私は嗜好品な車も、実用的な車も等しく、機関にこだわらずエコカーになっていく必要があると考えます。温暖化の危険性や、資源の枯渇が報じられている通りだとすれば、ですが。」(匿名)
「クルマ業界をエレクトロニクス業界との比較で考えると、(中略)エレクトロニクスにはCPU、ソフト、UI、ネットワークの速度と品質など、達成すべき目標がまだ遠くにあり、更なる向上が求められている。しかし、クルマはこれまで様々な目標達成のために開発し、積み上げられた技術資産の多くが、市場環境の変化に伴って不要になりつつある。動力性能、操縦性能、快適性などだ。(中略)クルマ市場は、ずっと庶民に夢を売って何ぼの世界だったから、庶民の夢が変わった地域から順に付加価値を提供できなくなってきた。(中略)そう考えてくると、クルマの未来を定義するとは、「生活必需品」ではなく「快楽のインフラ」として21世紀に有用であるかを問うことである」(匿名)
「クルマの未来を考えるうえで気になることがある。クルマは、原則として事故の責任をメーカーが問われない、という了解事項が、ユーザーとの間で成り立っているが、この原則が少しづつ崩れてきている。(中略)メーカーの立場が相対的に低下し、国際的な訴訟や補償が多発するようになるだろう。そうなれば、「未来」どころか、現在のようなレベルの機能・品質・数量でのクルマ造りが産業として成り立たなくなる危険性すらある」(匿名)
クルマの未来は、平坦な道ではない。環境や安全のための画期的な技術開発が求められているだけでなく、クルマそのものの役割や位置づけも見直されるだろう。いわば「生まれ変わる」ほどの変化が必要だ。それは不可能なことだろうか。最後に、第1回に寄せられた「元・開発担当のオヤジ」氏からのコメントで結びとしよう。
「車を誰よりも愛した末に、生涯の生業として身を投じた自動車メーカーの人達は、たとえ内燃機関がなくなっても、地球温暖化に向き合いながら、「個人の乗り物」として、新しい価値や楽しみを模索して、提案し続けると信じています。そんな新しい乗り物を『クルマ』と呼ぶかどうかは別として、楽しみに待ちたいと思っています」
※若者のクルマ離れは本当か? 「若」対「壮」激論!クルマ談義(1)
※日欧の「環境技術」どっちが上? 「若」対「壮」激論!クルマ談義(2)
※「未来のクルマ」を定義しよう 「若」対「壮」激論!クルマ談義(3)