世界3大自動車レースの一つ「ル・マン24時間レース」に史上初めて、大学のチームがチャレンジする。挑戦するのは、日本の東海大学のプロジェクトチームだ。2008年6月にフランスで開催されるレースに、大きな夢をかける。
大学チームの参戦は世界で初めて
マシンの模型を手にル・マン参戦を発表する東海大学の林義正教授(右から2人目)とドライバーの鈴木利男氏(同3人目)と学生ら
東海大学総合科学技術研究所の林義正教授を中心とする「東海大学ル・マンプロジェクト」は07年12月4日、翌年の「76回ル・マン24時間レース」への参戦を発表した。
ル・マン24時間レースは、フランスのル・マン市サルト・サーキットで行われる耐久レースで、24時間のうちにどれだけ長い距離を走れるかを競うものだ。F1の「モナコグランプリ」、米国の「インディ500」と並び"世界3大自動車レース"の一つといわれている。
歴代の優勝車にはポルシェ、フェラーリ、ベントレーなど世界的な自動車メーカーが名を連ねる。日本からも日産やトヨタ、ホンダといったメーカーが参戦した経験を持つが、総合優勝を果たしたのは1991年のマツダだけという過酷なレースだ。
このような世界有数の自動車レースに、日本の大学チームが挑む。07年のうちにエントリーの申請を行う予定だが、参戦が実現すれば、国内はもちろん世界でも初の試みとなる。単に名前だけの参戦ではない。東海大学の工学部動力機械工学科を中心とした学生たちの手によって、レースのための自動車を製作してきた。
「多くの苦労がプロジェクトの前に立ちはだかった」
車体中心のコクピット部分はフランスのメーカーから購入した
とはいえ、マシンのすべてを学生が作るわけではない。エンジンは輸送用機械メーカーのYGK(山形市)と共同開発した。コックピットなど車体の中心部分はフランスのメーカーから購入した。しかし、それ以外のボディの外板などは、学生が設計したり改良したものを使用する。また、エンジンの外付け部品も学生が車体に合わせて修正・搭載するというように、マシンの組立ても大学の校舎内で学生主体のもとで進められてきた。
だが、大学チームの自動車レースへの参戦は異例のことだ。ル・マンプロジェクトは2000年からスタートしたが、参戦が現実のものとなるまでの道のりは平坦ではなかった。
たとえば、年々入れ替わっていく学生メンバーの間での「技術の伝承・継続」をどのように解決していくのかという課題だ。また、「どうしてル・マンなんかに参加しなくてはいけないのか」という周囲からの疑問の声にも悩まされた。そして資金面の問題……
「あまりにも多くの苦労がプロジェクトの前に立ちはだかっており、とても一言では言い表せません」とプロジェクトを指揮してきた林教授は振り返る。
「ル・マンという窓を通して、様々なことを学んでいく」
ル・マン参戦のための風洞実験用モデル
そのような困難を乗り越えて、ようやく現実化した"夢の舞台"への挑戦――ル・マンという過酷なレースに、大学のチームがあえて挑む狙いはどこにあるのだろうか。元日産のエンジニアという経歴をもつ林教授にたずねると、次のような答えが返ってきた。
「長い歴史をもつル・マンはモータースポーツの原点。それに参加することによってモータースポーツ文化の意義を理解する手助けになる。また24時間、つまり8万6000秒を戦い抜くことで、1秒の重みを実感し、学ぶことができる」
林教授は日産時代、レーシングエンジンの開発者としてル・マンやデイトナ24時間レースなどの耐久レースに携わってきた。そんな経験から、学生たちにはル・マンを通して「レースの持つ重み」を肌で感じてもらいたいという思いがあるようだ。
挑戦の目的はそれだけではない。「チーム全員が協力する中で、社会性を身に付けることができる」という大学ならではの教育的な狙いもある。工学部だからといって「技術的」な点のみでル・マンを選んだのではなく、むしろ「メンタル面」を向上させるという目的の方が強いのだという。
「ル・マンという窓を通して、様々なことを学んでいく。ル・マンを教室にする」と、林教授は力強く語った。
いよいよ参戦が現実のものとなろうとしている「ル・マンプロジェクト」。今後は、08年1月に車両を完成させ、2月から走行テストを開始する予定だ。6月の本戦参戦はもう目の前に迫っている。