日本製鉄が、自動車用鋼板の特許権を侵害されたとした訴訟で、日鉄がトヨタ自動車、三井物産への損害賠償請求を放棄した。
取引関係にある日本を代表する企業同士の異例の訴訟として注目されたが、約2年で終結した裏に、どんな事情があったのか。
HVやEV車用「無方向性電磁鋼板」、日鉄が成分比率で特許取得...中国・宝山鋼鉄への訴訟は継続
J-CAST 会社ウォッチが2021年10月26日付「日本製鉄がトヨタを鋼板の特許権侵害で提訴 EV製造・販売を差し止め 激しい対立にいったい何が起こっているのか!?」で報じたように、日鉄は2021年10月、「無方向性電磁鋼板」で自社の特許権を侵害されたとして、トヨタと世界鉄鋼最大手の中国宝武鋼鉄集団の子会社「宝山鋼鉄」に、各約200億円の賠償を求めて東京地裁に提訴。
トヨタには対象となる電動車の製造・販売差し止めの仮処分も申し立てた。同12月には三井物産(三井物産スチールを含む)にも賠償を求める訴えを起こした。
その後、日鉄は2023年10月2日、トヨタと三井物産への請求を放棄する手続きをとり、両社への販売差し止めの申し立ても取り下げた。ただ、宝山鋼鉄への訴訟は「素材メーカーとして自らの知的財産を守る」として継続する。
◆「無方向性電磁鋼板」は、最も付加価値の高い高級鋼材のひとつ
問題の「無方向性電磁鋼板」は、ハイブリッド車(HV)や電気自動車(EV)のモーター材料となる鉄鋼製品。モーターのエネルギー損失を減らす特性があり、鉄鋼製品の中でも最も付加価値の高い高級鋼材のひとつだ。
日鉄は成分の配合割合などで特許を取得している。宝山鋼鉄がトヨタに納めていた電磁鋼板が特許を侵害していると訴えたが、侵害品を使ったり販売したりしたトヨタや三井物産も特許侵害にあたると主張していた。
トヨタ側、日鉄の特許無効も主張...係争継続は、脱炭素への協力関係にマイナスとの判断も
日鉄が請求放棄した背景には、大きく2点があるようだ。
まず、裁判の推移だ。この種の知的財産を巡る訴訟は企業秘密に関わるだけに、一般の民事訴訟のような口頭弁論が開かれて公開で審理されるとは限らない。
今回も、当事者と裁判所の水面下での協議を軸に展開。訴えの一部については結審し、24年2月に判決が出ることになっていたというが、賠償額の算定には入っていないことから、トヨタ側有利の判決が出る可能性が指摘されていたという
とくにトヨタ側は、日鉄の特許の無効も主張。もし「無効」の判決が出たら、中国などのライバル社への牽制が働かなくなる恐れがある。
実際、今回の提訴後、日本の自動車大手の中には特許訴訟リスクを考え、電磁鋼板の一部を中国製から日本製に切り替えたところもあるといい、特許無効判決だけは避ける必要があったとみられる。
もうひとつは、脱炭素技術の国際競争が激化しているという業界を取り巻く環境の変化だ。 日鉄は請求放棄の理由として、こうした環境変化で、自動車と鉄鋼の両業界が強固に協力していくことが必要になったと指摘。「係争の継続は日本の産業競争力の強化にとって好ましいものでない」と強調している。
実際、鉄鋼製品の製造過程での二酸化炭素(CO2)排出削減のうえでも、また、自動車のCO2排出削減に資する鋼材を供給するうえでも、鉄鋼と自動車メーカーの連携は欠かせない。そこで、両業界のトップ企業同士が訴訟を抱えていては、協力の妨げになるということだ。
和解ではなく訴訟を放棄した判断も、和解の場合は数年かかる可能性があることから、早期の対立解消が必要との判断が働いたようだ。
自動車業界は、部品値上げ受け入れへと変化...鉄鋼と自動車、関係再構築への第1歩か
実は、今回の訴訟には、鉄鋼と自動車という業界の力関係が密接にかかわっていた。
いうまでもなく、鉄鋼業界にとって自動車業界は最大級のユーザーだが、その分、利益率が低く、その割に厳しい品質や納入条件を要求されてきた。
今回の提訴の直前の2021年夏、日鉄はトヨタとの価格交渉で供給制限もちらつかせながら値上げを勝ち取ったという経緯があった。
大口顧客である自動車メーカーというユーザー優位の構造を変えたいという思惑が日鉄にあったと指摘され、提訴もこうした流れと無関係ではないとみられていた。
その後、資源価格の高騰もあって、鉄鋼に限らず、自動車業界は部品供給で、以前に比べ、値上げを受け入れるようになってきた。
こうした風向きの変化が、単純に今回の日鉄の訴訟放棄の判断につながったわけではないが、伝統的に自動車メーカーが優位だった仕入先との関係は、すでに変化し始めている。
それだけに訴訟の終結は、鉄鋼と自動車の新たな関係を再構築していく第1歩になるのだろう。(ジャーナリスト 白井俊郎)