危機的な経営状況にあった積水ハウスの黎明期、いかにして乗り切ったか?
「鉱業から電気機器へ」と題した第4章では、日立製作所の例を取り上げている。その源流は、久原鉱業所日立鉱山の修理工場にあった。
「創業小屋」と呼ばれる建屋は丸太小屋で、リーダーの小平浪平は、輸入された電気機械の修理を主に手掛けつつ、その過程の解体修理などを通じて将来の機械の製作に必要な知識を蓄えたという。
明治43年に修理工場は製作工場となり、日立製作所と改称。大正9年、分離独立した。久原鉱業のオーナーとの確執を経て、自主独立を維持した小平の「サラリーマン経営者」としての資質を高く評価している。
第5章「繊維(足袋)から化学(タイヤ)へ」では、ブリヂストンが登場する。日本足袋の石橋正二郎である。
足袋の底をゴムにしたことからタイヤへの関わりが始まる。だが、反対が多い中で、ゴム研究の第一人者の研究者が支援したことから、社内にタイヤ部を設置。昭和6年に分離独立してブリッヂストンタイヤが設立される。
「親」であった日本足袋は、日本ゴムに社名を改め、ブランドの「アサヒ靴」は業界トップだったが、「子」との差は拡大。平成10年に会社更生法手続きを申請。会社更生に伴い、所有と経営が石橋一族の手から離れ、現在のアサヒシューズに改称した。
成熟産業に固執した「親」と成長産業の波に乗った「子」との対比が、くっきりと分かれた。
第6章「繊維(紡織・繊維機械)から自動車へ」では、トヨタ自動車。第7章「化学(セルロイド)から新たな化学(フィルム)へ」では、富士フイルム。第8章「化学(電気化学)から住宅三社へ」では、日本窒素肥料(現チッソとJNC)に始まる住宅三社(旭化成、積水ハウス、積水化学)を取り上げている。
特に興味深いのが、プレハブ住宅を扱う3社の関係だ。
「親会社と子会社が同じ分野で競合し、さらに同じグループの会社も加わって、それぞれの事業が軌道に乗っている、というような例は、ざらにはないだろう」という、積水ハウスの実質的創業者である田鍋健の言葉を紹介している。
親会社から撤退の決定がなされるほどに危機的な経営状況にあった積水ハウスの黎明期を、いかにして乗り切ったのか。高度成長期の住宅需要の伸びだけでは説明できない、同社独特の工夫があった。また、親子間の「競争と協調」もあったという。
本書ではほかに、小売業(GMS)から業態転換したセブン-イレブン・ジャパン、ハードからソフトへ転換したソニー・コンピュータエンタテインメントにも触れている。
通して読むと、「反対」をいかに抑えてスピンオフが実現したかがよくわかる。その歴史を知ることは、現代のビジネスパーソンにとっても参考になるだろう。(渡辺淳悦)
「スピンオフの経営学」
吉村典久著
ミネルヴァ書房
3850円(税込)