反対の中から生まれた「スピンオフ企業」の歴史

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   TOTO、日立製作所、トヨタ自動車、ブリヂストンなど、親会社からスピンオフ(分離独立、分社化)している日本を代表する企業は少なくない。そうした企業はいかにして、成長を果たしたのか。

   本書「スピンオフの経営学」(ミネルヴァ書房)は、反対の中から生まれて成長した企業の歴史が書かれている。スピンオフは決して今だけの流行ではないのだ。

「スピンオフの経営学」(吉村典久著)ミネルヴァ書房

   著者の吉村典久さんは、和歌山大学教授、大阪市立大学教授を経て、関西学院大学専門職大学院経営戦略科教授。著書に「日本の企業統治」「部長の経営学」などがある。

   本書のサブタイトルは、「子が親を超える新規事業はいかに生まれたか」。

   日本企業の新規事業創造の歴史を振り返ると、事業部門・単位のスピンオフ(分離独立、分社化)を経て成長、上場、いわゆる「親子上場」を果たし、少なからず「子が親を超える」存在になった姿を数多く見て取れるという。

鉱工業上位100社の3割がスピンオフで誕生

   スピンオフ型企業の存在感を示すため、日本を代表する企業群の設立経緯を類型化している。同書で対象としたのは「1990年鉱工業上位100社」。このうち、法人企業の既存部門の分離独立が19社、旧三大財閥の法人企業の既存部門の分離独立が10社。つまり、3割近くの29社が分離独立で生み出されたことがわかる。

   日本のスピンオフ史の先べんとして、森村・大倉グループの大倉和親に注目している。森村グループの最大の特徴は、新技術を開発し市場を開拓すれば速やかにスピンオフする「一業一社」の系譜を挙げている。

   ノリタケからTOTOと日本ガイシが分離、日本ガイシから後に日本特殊陶業が独立した。TOTO(当時の東洋陶器)の独立は大正6年で、先べんたるスピンオフ型企業だという。

   同グループの源流である森村組(現森村商事)は明治9年創立。現在のノリタケカンパニーリミテドは、明治37年に陶磁器の自社製造を目的として、森村組関係者が日本陶器合名会社の名称で設立した。

   森村組最初の従業員となった大倉孫兵衛の長男である和親は、日本陶器合名会社の初代代表社員(社長)、同社から分離独立を経た東洋陶器や日本碍子(現日本ガイシ)両社の初代社長を務めた。

   衛生陶器事業は見込み薄という社内の反対を押し切り、私財を投じて衛生陶器の研究所を立ち上げた。反対からのスピンオフ第1号は、現在同グループの中でも最大規模の会社に成長した。

   スピンオフ第2号の日本碍子の誕生も同様の反対を経たという。だが、意見の対立を乗り越え、グループが成長した背景には、森村市左衛門の「直言なければ事業の繁栄はない」という経営哲学があった、と吉村さんは考えている。

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