気鋭のクリーンテック企業の創業者が、起業するまで 「日本にいてはダメ」海外で学び、商社で鍛え...そして、セーリングで気づいた「自然との共生」への思い【後編】/Nature株式会社 創業者・塩出晴海さん

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   話題のスマートリモコン「Nature Remo」シリーズを手掛けるベンチャー企業、Nature株式会社。同社が掲げるミッション「自然との共生をドライブする」には、創業者で代表取締役を務める塩出晴海(しおで・はるうみ)さんの強い思いが込められている。

   インタビュー【前編】では、「Nature Remo」シリーズの開発秘話、働き方というテーマで話を聞いた。だが、インタビューを重ねると、塩出さんが起業を決意するまでに、さまざまな実体験が積み重ねられていたことが判明する――。

   そんな塩出さんのルーツ――幼少期の人格形成の過程に始まり、大学時代の交換留学や大学院時代の経験、三井物産に就職して身に着けたビジネスのセンス、さらには塩出さんのある「日課」にも話が及んだ【後編】をお届けする。

  • Nature株式会社 創業者・塩出晴海さん
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起業の志の奥底にあった「父の背中」

   <いっぱいある家電のリモコン全部、スマホひとつで簡単操作...電気の節約にも! スマートリモコン「Nature Remo」の魅力【前編】/Nature株式会社 創業者・塩出晴海さん>の続きです。

――塩出さんは起業というハードな道を選ばれましたが、起業への思いは幼少期からあったのでしょうか。子どものころは、どんなお子さんだったんでしょうか。

塩出晴海さん 小さい頃から、とにかく数字が好きでした。私が母と一緒に買い物に行った時などは、まだ小学校にも上がっていない頃のことですけれど、(1989年に)導入されたばかりの消費税3%について、100円なら3円、200円なら6円...という具合に計算していましたね。

――計算を始めるのが早いですね。

塩出さん 保育園児の頃は、趣味が足し算でした。それも、1+1=2といった簡単なものではなく、354786+872457といった、やたらとケタ数が多い問題を両親に出題してもらっていた、という思い出もあります。

――えっ? 大人でも電卓を使うレベルじゃないですか!

塩出さん ほかにも、姉が九九を覚えるのに苦労していて、家の中で九九の「暗唱」を繰り返し聞いていたら、私の方が先に覚えてしまった、なんてことも......。なので、両親からは「お前は理系だ」と当時から言われていましたね。
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塩出晴海さんプロフィール(J-CAST 会社ウォッチ作成)

――ご両親は塩出さんの才覚に、すでに気づいていたんですね。その後、ご自身が起業を目指されたきっかけは、どんなものだったんでしょうか。

塩出さん 順を追ってお話しすると、私が幼稚園児の頃、父が独立して、起業しています。その後、父は「プレイステーション」のレーシングゲームのソフトを開発し、発売にこぎつけました。

――そうだったんですか! ということは、代々、起業家ですね。

塩出さん 父は、当時小学生だった私にも、事業のことを包み隠さず教えてくれました父はよく「このあいだ発売した商品の原価はいくらだったか」「ソフトの販売枚数が〇万枚に達した」といった話をしてくれていました。これらの話を聞いているうちに、「自分でビジネスをやるのは、楽しそうだ」と思うようになりました。そして、将来は起業したいと考えるようになりました。

――早くも英才教育ですね。

塩出さん となると、勉強しなければならないと思うようになりました。ゲームが身近にあったことも影響して、まずはプログラミングを。そして、父から「コンピューターの世界では英語が必須である」と聞いていたので、英語の勉強に力を入れるとともに、いずれは留学も、と考えるようになりました。

――幼少期の経験がそのまま起業の礎になっているのですね。留学は大学時代に実現されました。

塩出さん そうですね。実は、高校生の時にも考えたのですが、そうすると卒業が1年遅れてしまうので、大学進学後に留学することとしました。交換留学が実現したのは、北海道大学の3年次。留学先はウィスコンシン大学マディソン校でした。同大学は当時、全米でコンピューターサイエンスにおいてトップ10に入っていたと思います。そんな最先端の大学に来て、「日本とは環境が違う!」と驚きました。勉強のレベルが断然、高いものだったからです。

――そういうものなんですね。

塩出さん この時の経験で「日本にいてはダメだ」という思いもあって、大学卒業後の進路とした大学院は絶対に海外でと思いました。さらに言うと、交換留学はアメリカに行ったので、「大学院はヨーロッパだ!」という気持ちも。結論から言うと、スウェーデンに行くのですが、そういうふうに決めたきっかけは、インドでインターンシップに行った時の出来事でした。
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