「前川孝雄の『上司力(R)』トレーニング~部下の心を動かした『胸アツ』エピソード」では、実際にあった感動的な現場エピソードを取り上げ、「上司力(R)」を発揮する方法について解説していきます。
今回の「エピソード1」では、「転機は『会社で初めて悔し涙した日』~業績より、育成にこだわった上司に感謝」というエピソードを取り上げます。
深刻な人材不足時代...ますます上司に求められる「部下を育て上げる力」
少子高齢・人口減少が続く日本。企業は恒常的な人材不足の時代を迎えています。
コロナ禍明けの消費需要の高まりやインバウンド回復などの影響で、多くの企業が一層人手不足に直面しています。しかし、この課題は決して一過性のものではありません。
すでに、コロナ禍前から、新卒採用は売り手市場傾向。若手人材の獲得競争はより一層激しさを増していくでしょう。ビジネス環境が激変するなか、専門能力を備えた即戦力人材を求めようにも、転職市場もいまだ未成熟でもあり、自社にマッチした有為の人材採用は容易ではありません。
すなわち、多くの企業は慢性的な人材不足を前提に事業活動をしていくことになるでしょう。
この難局をどう乗り越えるか。最も着実な処方箋は、上司が自社の限られた大切な社員の力を十分に引き出し、中核人材へと育て上げることです。
今回紹介するエピソードは、若手部下の成長意欲をしっかりと受け止め次世代リーダーへと育てた物語です。
経験もスキルもない若手の「目力(めぢから)」と素直さで採用即決
起業してまだ間もない、IT系スタートアップ企業のA社に採用された20代女性の木村さん。新卒でSE(システム・エンジニア)として就職した前の会社で、業務上の必要から企業会計の面白さに触れ、すっかり魅了されました。そこで一念発起。1年半で退職し、転職活動を経て経理職としてA社へ入社します。
木村さんが身につけていたのは簿記の基礎程度。しかし、彼女と面接し、後の上司となる40代男性部長の大島さんは、一瞬で木村さんの目力と素直さで採用を即決します。スキルや経験はないものの、彼女の芯の強さとひた向きさを見抜いたからです。今持っている実務力より、大きな『伸びしろ』にかけたのです。
入社後ほどなくして、大島さんは木村さんの直属上司に。実は大島さんは、公認会計士資格を持ち、経験も豊富な経理のプロ。しかし、大島さんは木村さんに業務知識を、手取り足取り教えませんでした。
「これってわかる?」と投げかけ木村さんが戸惑うと、「次に聞くまでに分かるようにしておいて」と宿題を与えます。負けず嫌いの木村さんは「わかりません」と言うのは悔しいので、会計テキストや過去の資料を読み込み、必死で食らいついていきました。
大島さんは木村さんの習熟度合を見ながら、少しずつ与える仕事の難易度を上げていきます。木村さんもたびたびの困難を歯を食いしばり、乗り越えました。入社3年経つ頃には、経理実務のプロとして大きく成長を遂げていきます。
ところが、その先には、さらに厳しい試練が待っていたのです。
「期日に間に合わない!」窮地に手が震えた部下...そこで上司は?!
上司の大島さんは、経理のプロに育てる最終関門として、いよいよ木村さんに年度決算の大役を任せたのです。木村さんはいつもの要領で勉強を始めたものの、壁に突き当たります。「途方に暮れるとはこういうことか...」。解決策がまったく分からず、仕事の手が完全に止まってしまったのです。
急成長するスタートアップ企業ゆえ、木村さんには部長の大島さんとの間に相談できる先輩もいません。何とかしなければと、夜遅くまで会社に残り四苦八苦を続けるも、今回ばかりは歯が立たちません。「会社の生命線ともいえる決算なのに、このままでは、とても間に合わない...」と、手が震えました。
「すみません。今回は無理です。できませんでした」。ついに、資料を監査法人に提出するタイムリミットまであと1週間。負けず嫌いの木村さんも、さすがにギブアップ。大島さんに憔悴しながら報告します。
そう頭を下げた木村さんに、大島さんはさっと1つの書類を差し出しました。何と完璧にできあがった決算資料だったのです。
大島さんは、育成のために部下に任せた重要な仕事は、自分でも終わらせておくことにしています。上司は手が回らないとか面倒だからという理由で、部下に仕事を振ってはならない、というのが信条。正確性が求められる専門職であるため、部下から上がってきた仕事を検証するにも不可欠と考えるからです。
木村さんは、完璧に仕上がった大島さんの資料にとても驚きました。しかし、「なぜ早く教えてくれなかったのか」などの不満顔は一切せず、自分の力の無さをただ猛省する様子。大島さんは、そこにも木村さんの成長の跡を見て取りました。
大島さんが木村さんに手に負えないほど高いハードルの大役を任せたのも、実務がこなせるようになってきた段階で、さらに成長を加速させるためだったのです。
上司の大島さんの厳しい指導で、失敗経験を学習材料にできた木村さん。しかし、その先にはさらに大きな試練が待っていたのでした。
この続きは<転機は「会社で初めて悔し涙した日」~業績より、育成にこだわった上司に感謝【部下の心を動かした『胸アツ』エピソード「1」後編】>で紹介していきます。
※「上司力」マネジメントの考え方と実践手法についてより詳しく知りたい方は、拙著『部下全員が活躍する上司力 5つのステップ』(FeelWorks、2023年3月)をご参照ください。
※「上司力」は株式会社FeelWorksの登録商標です。
【プロフィール】
前川 孝雄(まえかわ・たかお)
株式会社FeelWorks代表取締役
青山学院大学兼任講師、情報経営イノベーション専門職大学客員教授
人を育て活かす「上司力」提唱の第一人者。リクルートを経て、2008年に管理職・リーダー育成・研修企業FeelWorksを創業。「日本の上司を元気にする」をビジョンに掲げ、「上司力研修」「50代からの働き方研修」「eラーニング・上司と部下が一緒に学ぶ パワハラ予防講座」「新入社員のはたらく心得」などで、400社以上を支援。2011年から青山学院大学兼任講師。2017年働きがい創造研究所設立。情報経営イノベーション専門職大学客員教授、一般社団法人 企業研究会 研究協力委員、一般社団法人 ウーマンエンパワー協会 理事なども兼職。連載や講演活動も多数。
著書は『50歳からの逆転キャリア戦略』(PHP研究所)、『「働きがいあふれる」チームのつくり方』(ベストセラーズ)、『コロナ氷河期』(扶桑社)、『50歳からの幸せな独立戦略』(PHP研究所)、『本物の上司力~「役割」に徹すればマネジメントはうまくいく』(大和出版)、『人を活かす経営の新常識』(FeelWorks)、『50歳からの人生が変わる 痛快! 「学び」戦略』(PHP研究所)等30冊以上。最新刊は『部下全員が活躍する上司力 5つのステップ』(FeelWorks、2023年3月)。