戦後78年、日本の「航空機産業」の軌跡から見えてくる...世界をリードした中島飛行機を受け継ぐ、スバルの思い

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三菱重工にもできなかった民間機のビジネス、ホンダが成功させる

   日本の航空機産業は戦後しばらく開発と生産ができなかったことで、当時の航空エンジニアがトヨタ、日産、ホンダなど自動車メーカーに流れ、戦後の復興と高度成長を支えたといわれる。

   戦後の「YS-11」以降、スペースジェットまで民間旅客機の開発が進まなかったのは、戦後の空白期が長く、競争力を失ったからだと指摘される。

   そんな中、小型機のホンダジェットは戦後の日本の航空機産業で唯一、商業的に成功した事例だろう。

   スバルはもちろん、三菱重工にもできなかった民間機のビジネスをホンダが成功させたのは奇跡に近い。航空機の経験がなくても、ホンダには夢を実現するだけの技術力とブランド力があったということだろう。

   思えば、終戦記念日を迎えた8月は中島飛行機が消滅した月であり、日本にとって航空機の開発・生産ができなくなった歴史的な月だ。

   そんな因縁の8月に、スバルがボーイング777の製造・出荷30周年と陸上自衛隊のヘリコプターUH-1Jの記念式典を行ったのは偶然だとは筆者には思えない。ホンダと立場が逆転したように見えるスバルだが、航空機製造に対する思いは今も強いのだろう。

   8月は戦後78年の日本の自動車産業と航空機産業の歴史を振り返り、今後に思いをはせるには絶好の機会なのかもしれない。(ジャーナリスト 岩城諒)

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