秋の味覚の代表例といえば、マツタケ。そのマツタケについて今年、革新的な研究が発表された。全ゲノムの解読である。
2023年5月8日、公益財団法人かずさDNA研究所と東京大学は、マツタケのゲノムの完全解読に成功したと発表。これを受け、各メディアは現時点では実現していないマツタケの人工栽培が可能になるのではないかと報じるなど、報道は盛り上がりを見せた。
もし人工栽培ができるようになれば、世の中への供給量の増加、ひいてはマツタケの低価格化も可能なのではないか。それから、研究所がマツタケのゲノムを解析することの意義は何なのか、J-CAST 会社ウォッチ編集部はゲノム解読作業を担当した、かずさDNA研究所を訪ねた。
マツタケのゲノム...同じ配列の繰り返し部分が非常に多く、完全解読が困難だった
今回、インタビューに応じてくれたのは、研究所でマツタケのゲノム解読を担当した白澤健太(しらさわ・けんた)氏(農学博士)。白澤氏はマツタケのゲノムに同じ配列の繰り返しが多いが故の解読の難しさから話を始めた。
――マツタケのゲノムを解析し終わったとのことですが、そもそも、マツタケのDNAにはいくつの塩基対があり、また、遺伝子はいくつあるのでしょうか。
白澤健太氏 塩基対は約1.6億対あり、その中に遺伝子は2万1887個あることが、今回の解析で分かりました。ゲノム解読の作業は昨年(2022年)5月頃から始めていました。
――発表時の報道を見てみると、たとえば「マツタケは同じ配列の繰り返し部分が非常に多く、完全解読が困難だった」(時事通信)とありましたが、これは、なぜでしょうか? 同じ配列の繰り返しが多ければ、解読作業がはかどるようにも思えるのですが......。
白澤氏 それは、ゲノム解析というものは、塩基対の最初から最後までを一貫して調べるというわけではないからです。DNAは分析の際にいったんバラバラになってしまうので、それをDNA分析装置で読み取っても、その配列が同じだった場合、「さっき解読した箇所なのか否か」がわかりづらいからです。重複なのか否かで迷うため、ゲノムを解読する難易度が大幅に上がってしまうのです。
――かずさDNA研究所のウェブサイトには「さらなる遺伝子解析により、」とありましたが、ゲノム解析は終わっても遺伝子解析は終わっていないのでしょうか。
白澤氏 前述のように、「ゲノム解読」を終えたことにより塩基対は約1.6億対あって、その中に遺伝子は2万1887個あることはわかったものの、その遺伝子たちが「どこで働くのか」「いつ働くのか」といった機能面のことは、まだ分かっていません。ですから、今後も遺伝子についての解析はまだまだ続きます。
マツタケの大量生産の可能性やいかに?
ゲノムを全て解読し、遺伝子の数の特定に至ったという今回の研究。J-CAST 会社ウォッチ編集部はいよいよ、世の人々の「夢」ともいえるマツタケの大量生産の可能性について質問した。
――報道ではマツタケが人工栽培できるようになる可能性に言及するものもありましたが、ゲノム解読が終わったことで、実際、マツタケの大量生産への可能性が開かれたといった動きはあるのでしょうか。
白澤氏 正直な話、まだ「〇年後にはできるかもしれません」といった話すらできない状況です。今後、遺伝子の解析が進んで「人工栽培する際に必要な遺伝子」なるものが発見されることが想定されるわけですが、そのような発見が、5年後とか10年後にあるのではないかというレベルの段階です。そして、そこから人工栽培の試験を始める......という展開になるでしょうか。
――まだまだ先は長そうですね。ところで、ゲノムを解読することによって、マツタケから医薬品が作れるようになる可能性は?
白澤氏 マツタケの遺伝子の研究が進んで代謝系の遺伝子が見つかり、その働きが分かれば何かしらの医薬品の開発につながるかもしれません。
――そもそも今回、マツタケのゲノムを全て解析しようという計画が持ち上がったきっかけはなんだったのでしょうか。
白澤氏 それは、マツタケを「保全」していきたいからです。
――と、いいますと? ぜひ詳しく教えてください!
マツタケは絶滅危惧種に分類されている
実は、マツタケは2020年に各国政府や環境団体などで作る「国際自然保護連合」(IUCN)から「絶滅危惧種」に指定されている。つまり、いわゆる「レッドリスト」入りしてしまっている状態で、これは世界的に松林が減少していることが理由だとされている。白澤氏はこの状況を説明しつつ、マツタケのゲノム解読を行った意義を説明する。
白澤氏 マツタケのゲノムを解読した先には「マツタケの保全」という目標があります。マツタケは、キノコとして生えてくる前には松の根に菌糸の状態で存在します。ところが、マツタケがキノコの姿で生えていない状況で松の根を見ても、その松にマツタケが存在しているのか否かは分かりません。 そこで、サンプルを採取して、そのDNAを解析して初めて、マツタケの菌糸の有無が分かるのです。もっとも、それができるようになるには、まずはマツタケのDNAの全ての塩基の組み合わせを知る必要があります。
――なるほど。つまり、マツタケを守るには、まずはマツタケの菌糸がどこに存在しているかを確認する必要があると。
白澤氏 ええ。そこから、どのような状況になるとマツタケが消滅してしまうのかといった条件を研究し、そうならないようにするにはどうすればいいかを解明していくという算段です。つまりは、マツタケの生態を知りたいのです。
――マツタケの保全を目指すということは、やはり、生態系の維持にも資するのでしょうか。
白澤氏 そういうことになるかと思います。マツタケもまた、他の生物と一体となって生態系を構成していますから、絶滅を防ぐことは生態系の保全に資すると言えるでしょう。マツタケは松と共生していますからね。
――「共生」ですか? 「寄生」ではなく?
白澤氏 そう、共生です。お互いに必要な物質を与え合っているので、共生なのです。
かずさDNA研究所は「科学に貢献する」研究所
ゲノム解析をしたとなると、そのデータが知的財産化されたかどうかが気になるところ。しかし、白澤氏によるとゲノム解読の結果は知的財産化されていないという。
――今回の研究はかずさDNA研究所と東京大学が共同で行われましたが、役割分担はどのようにしたのでしょうか?
白澤氏 データ解析は当研究所で行いました。一方、解析に使うマツタケの採取は東京大学が行いました。ちなみに、使われたのは長野県で採取された個体です。
――かずさDNA研究所がマツタケのDNAを解読するということに対して、知的財産権は発生するのでしょうか?
白澤氏 これはですね、発生しないようにしています。ゲノム情報の知的財産化は発表前に行えばできるのですが、当研究所は公益財団法人の研究所ですから、「科学に貢献する」との目標で研究を進めています。ですから、得られたデータは全て公開しております。
――ありがとうございました。
(聞き手・構成/J-CAST 会社ウォッチ編集部 坂下朋永)