人間の持つ非合理な一面に着目した経済学の一分野である、行動経済学が注目されている。本書「行動経済学」(新星出版社)は、カラーイラストでわかりやすく解説した入門書。消費者の行動を理解することで、マーケティングにも役立ちそうだ。
「行動経済学」(阿部誠監修)新星出版社
監修者の阿部誠さんは、東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授。行動経済学の研究対象である人間の知覚バイアスや選好逆転に着目し、マーケティングに応用する研究を行っている。著書に「東大教授が教えるヤバいマーケティング」などがある。
行動経済学は、経済学と心理学のハイブリッド
伝統的な経済学では、人間は常に超合理的、超自制的に意思決定し、行動するものとされてきた。しかし実際の人間は、非合理な行動を取ることも珍しくない。
そこで、経済学との矛盾が生じてしまう人間の行動を解明するために登場したのが、「行動経済学」だ。
行動経済学は、実際の行動から理論を形成していく帰納法的な学問。そのため、実験や消費者アンケートなどを利用して収集したデータをもとに研究を進める。消費者の動向をつかみやすいことから、マーケティングの分野で注目を集めている。
また、経済学が立証してきた理論をベースに、人間特有の考え方やくせをふまえて、実際の行動を検証するので、「行動経済学は経済学と心理学のハイブリッド」とも表現されるという。
この分野から、ダニエル・カーネマン、ロバート・シラー、リチャード・セイラーとノーベル経済学賞を3人が受賞し、「行動経済学はマーケティングの別称にすぎない」という研究者もいるという。
最初に、人間らしい心の動き「ヒューリスティック」について説明している。よくCMなどで目にするものを手に取ったり、有名人のCMに影響を受けたりするのも、このためだ。
すばやく直感で答えを出す際の意思決定プロセスを「ヒューリスティック」と呼ぶ。その場合、時間をかけずに、ある程度満足できる解を出すが、偏った考え方(バイアス)を引き起こすこともある。代表的な3つを取り上げている。
1 なじみのあるものを選択する「利用可能性ヒューリスティック」...記憶に残っているものを信用するから、値段や品質について細かく検証することなく、直感的にその商品を選んでしまう。そのため企業は、CMなどで印象づけ、購入に結びつけようとする。
2 代表的(典型的)なものだけを見て、全体も同様であると考える「代表性ヒューリスティック」...典型例だけでイメージをつくったり、第一印象に影響されたりする。後者は「初頭効果」と呼ばれる。初対面の好印象を残すため、相手が喜ぶ話題を準備するのもこのためだ。また、絶頂時と最後の記憶が残りやすい「ピークエンドの法則」もあるという。
3 自分の考えや思い込みに固着し、肯定的な情報を集めてしまう「固着性ヒューリスティック」...目立ちやすい特徴に引きずられて、正確な評価ができない「ハロー効果」もその1つだ。CMに人気タレントが起用されるのもこのためで、有名人が好印象なら、商品も好印象を得られるという。
カギとなる「プロスペクト理論」
ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの「プロスペクト理論」が、行動経済学の代表的な理論だ。意思決定プロセスを説明する理論で、状況を評価する前処理の段階のあと、価値関数に基づいて損得を勘定し、確率加重関数により確率を計算し、行動を決める。
たとえば、1000円儲けたときの嬉しさを「1」とすると、1000円損したときの悲しみは「2.25」になる。得よりも損を重く感じるのだ。
人はそれぞれ「参照点」という基準を持っている。たとえば、同じ額のボーナスをもらっても、少ない金額を予想していた人は喜び、多い金額を期待していた人はショックに感じるのは、このためだ。
参照点は状況によっても変わる。最初に見たものの価格が参照点に影響を与えるので、最初に比較的高額なものを目にすると、その後に見る価格を安く感じる。対比によって印象(参照点)が変わることを「コントラスト効果」といい、店舗などで戦略としてよく使われるという。
確率加重関数も、プロスペクト理論の中核にある。これはどういうことかというと、「低い確率」を過大評価し、「高い確率」を過小評価する傾向があること。当たることはまれだとわかっているつもりでも宝くじに1等を期待したり、めったに起こらない飛行機事故を過剰に恐れたりするのはそのためだ。
意志決定の前処理の段階では、心の口座があり、無意識のうちにやりくりをしているという考え方がある。これを「メンタルアカウンティング(心理的勘定)」という。
どのようにして得たお金かによっても、使い方は変わる。苦労して得たお金は大切にする一方、ギャンブルなどで得たお金の使い方は荒くなりがちだ。このような傾向を「ハウスマネー効果」という。
価格戦略で活用される「端数価格」と「威光価格」
行動経済学をマーケティングに活用した事例を紹介している。
その代表例が「1980(イチキュッパ)」だ。本当は2000円に近いのに、1000円台という印象が強くインプットされる。安いと感じさせるキリの悪い価格は、「端数価格」と呼ばれる。
一方、キリのいい数字は「高い」という印象を与える。1600万円の高級車など、購入客の優越感や自己顕示欲をくすぐる「威光価格」という。
このほかの成功例として、セブンイレブンの「おにぎり100円セール」を挙げている。安価なものは割引率よりも価格のほうが安く感じる効果があるのだ。
最後に、行動経済学で近年注目されている「ナッジ理論」を説明している。
ナッジとは、ヒジで軽く小突くように、自発的に望ましい行動を選択するよう促すことだ。あらかじめ選ばせたい選択肢を初期設定することをデフォルトと呼ぶ。たとえば、WEBサイトなどの会員登録をする画面で、「メルマガを受信する」にチェックが入っているのもこのためだ。
人間は、情報が多いと考えるのをやめ、ヒューリスティックを使う傾向がある。さまざまな場面で、行動経済学を利用したマーケティングが行われていることを痛感した。(渡辺淳悦)
「行動経済学」
阿部誠監修
新星出版社
1320円(税込)