お盆の時期こそ考えたい...供養の本当の意味を知っていますか?【尾藤克之のオススメ】

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   終活ブームの中で簡素、簡略、小規模化が急速に進む日本の供養。しかし、忘れてはいけない大切なものがある。日本人はどのように故人を追悼し、供養してきたのか。そこにはどのような意味があるのかを考えてみたい。

『供養には意味がある ~日本人が失いつつある大切なもの~』(一条真也 著)産経新聞出版

いまの時期に供養を考えてみる

   いうまでもないことだが、現代日本は超高齢社会である。いま、日本では年間158万人以上の人が亡くなり、2030年には160万人を超すとされる。超高齢社会は「多死社会」でもあり、多くの人々が死を意識しながら寿命を生きていくことになる。著者の一条さんは、終活の意義について次のように解説する。

「仏教は『生老病死』の苦悩を説きました。いま、人生100年時代を迎え、『老』と『死』の間が永くなっています。永くなった『老』の時間をいかに過ごすか、自分らしい時間を送るか そのための活動が『終活』です。というわけで、日本に空前の『終活ブーム』が訪れ『終活』という言葉を嫌う人も多く存在することを知りました」(一条さん)
「供養について考えてみます。供養とはあの世とこの世に橋をかける、死者と生者のコミュニケーションであると考えています。供養は、まず死者に現状を理解させることが大切です。僧侶などの宗教者が『亡くなった』ことを伝えて、遺族などの生者が『あなたのことは忘れません』と死者に伝えることが供養の本質だからです」(同)

   幼いころから、人は死ぬと霊は肉体から離れてあの世に逝くと教えられてきた。亡くなった人の冥福を祈る追善や供養を続けてきた。先祖供養が最たるものと言えるだろう。

「最近は仏壇を置く家が少なくなりましたが、わたしは『仏壇ほどすごいものはない』と思っています。仏壇は家の中の寺院であり、抽象的で難解だった仏教の『見える化』を成功させた画期的なツールです。仏壇の中には仏像が安置されています」(一条さん)
「仏像の横には、儒教をルーツとする先祖の位牌があり、その仏壇そのものが最も活躍するのは神道の先祖祭りもルーツとするお盆です。つまり、この不思議な場所は、神道にも儒教にも仏教にもアクセスしているマルチ宗教メディアなのです」(同)

茶道にある「死者への想い」

   茶の湯は戦国時代に大きく発展し、今日の姿になったといわれている。戦国の世に、武将は僧侶とともに茶の湯と専門家を戦場に連れていった。一条さんは次のように言う。

「わが社では、茶道の精神を体現できる『お茶のある人』になるため、多くの社員が稽古に励んでいます。茶道の稽古は、おもてなしの修行、礼儀作法の修行、人間の修行です。茶室という狭い空間で主客の息づかいまで聞こえるような距離でお互いが接し合うことで相手が何を求めているかを自然に察知できる感性が身についてきます」(一条さん)
「茶道とは、日本人の『おもてなし』における核心なのです。そこには『一期一会』という究極の人間関係が浮かび上がってきます。最初に呼んだのは、利休の弟子である山上宗二です。『一期一会』は、利休が生み出した『和敬清寂』の精神とともに、日本が世界に誇るべきハートフル・フィロソフィーであると言えるでしょう」(同)

   茶も花も、戦場で命を落とした死者たちの魂を慰め、生き残った者たちの荒んだ心を癒やしたのだ。今でも、仏壇に茶と花を手向けるのはその名残りだといわれている。

先祖供養が必要なワケ

   先祖供養には、亡くなった先祖たちが安らかに眠れるようにお参りすることだが、仏教では先祖供養によって徳が返ってくるとされている。仏教には「因果応報」という教えがあり、先祖が作った因縁も子孫の人生に影響を与えるとされているのだ。

   最近は少子化による檀家の減少、墓じまいなどによるお墓の撤去や改葬は当たり前のように起こっている。今後、この動きは加速していくことが予想されるが、心の拠り所として、お墓のありかたや先祖を敬う気持ちをもつことは大切である。

   先祖への気持ちを新たにし、手を合わせてみるということ。そこには、人として成長するためのヒントが隠されている。お盆のいまの時期、先祖に心を寄せてみると、新たな気づきがあるかも知れない。(尾藤克之)

尾藤 克之(びとう・かつゆき)
尾藤 克之(びとう・かつゆき)
コラムニスト、著述家、明治大学客員研究員。
議員秘書、コンサル、IT系上場企業等の役員を経て、現在は障害者支援団体の「アスカ王国」を運営。複数のニュースサイトに投稿。著書は『最後まで読みたくなる最強の文章術』(ソシム)など19冊。アメーバブログ「コラム秘伝のタレ」も連載中。
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