高額な報酬にもかかわらず、なぜカルロス・ゴーンは危ない橋を渡ったか?

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円建ての給与が生んだ損失の付け替えが発端

   日産と最初に結んだ契約でゴーンは、ドルでの給与支払いを要求したが認められず、支払いは価値の変動が激しい円で行われていた。その給与をドルに換えるため、スワップ取引とも呼ばれる通貨防衛契約を新生銀行と結んでいた。

   しかし、リーマンショックによる金融危機で、円高ドル安が急激に進み、その為替差損を埋め合わせなければならなかった。さらに担保としていた日産株が急落したため、銀行は追加担保を要求した。いまやこの取引での評価損は2000万ドルに上がっていた。

   ゴーンが選んだのは、この損失を日産に付け替えることだった。一時しのぎにはなったが、問題あるスワップ契約が証券取引等監視委員会の目に入った。次の手段として、オマーンとサウジアラビアの大富豪に接触した。

「しかし彼らは日産のパートナーという立場にあったため、この依頼は会社とも結びつきができてしまった。結局ゴーンは利益相反取引からまた別の利益相反取引へと飛び移ったのだ」

   16億円近い年収への批判を避けるため、8億9000万円へ形式的に減額し、残りは「繰り延べ報酬」とした工作、ヴェルサイユ宮殿での不明朗な支出を伴うパーティーなど、タガが外れたような散財についても容赦なく追及している。

   監査役の1人が気付いた不正の端緒から、どうやって日産側が「会長」の犯罪を突き止めていったのか、またルノーとの統合を食い止めたのか、小説顔負けのスリリングな展開が続く。

   さらに逮捕、保釈、日本からの逃亡劇のディテールが書き込まれている。レバノンでのゴーン本人とのインタビューも収めている。いまも逃亡はそれだけの価値があったと思っていますか、との質問にこう答えている。

「ああ。日本にいたら死んでただろう。それで終わっていた」
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