物価が上昇している。「これ以上の価格維持は無理。どうしたらコストを下げることができるのか」。そんな企業や商店からの悲鳴にも似た声が聞こえてくる。
本書「『価格上昇』時代のマーケティング」(PHPビジネス新書)は、物価が常に上がっていく時代の発想法を説いた本である。
「『価格上昇』時代のマーケティング」(小阪裕司著)PHPビジネス新書
著者の小阪裕司さんは、オラクル・しくみ研究所代表。博士(情報学)。山口大学人文学部卒業後、「感性と行動の科学」をもとにしたビジネス理論と実践手法を研究・開発し、2000年からワクワク系マーケティング実践会を主宰。約1500社が参加している。本書にも各地の企業の取り組みが、すべて実名で紹介されている。
副題は「なぜ、あの会社は値上げをしても売れ続けるのか」。価格を上げたら顧客が増えたという実例が多数登場する。
適正な価格をいただくのはビジネスの基本
本書は、「値上げの作法」を説いた本である。最初に、小阪さんは、「頑張って価格を維持」はもうやめよう、と書いている。――自分たちが苦しむようなビジネスに、お客さんは本当についてきてくれるだろうか。そうやって我慢し続けたところで、再び物価が下落するような時代は訪れるだろうか。そんなビジネスをやって、本当に「楽しい」のだろうか、と問いかける。
そして、「価格上昇時代」に、我々は慣れ、「良いものを提供し、適正な価格をいただく」というビジネスの基本に回帰することを訴えている。
日本企業は企業努力により、価格上昇をなるべく抑えてきた。その努力がどうにもならなくなってきている今、その常識を捨て去るときがきたという。価格維持のため、あるいは値下げのために「頑張るのはやめる」と決断すること。それが、価格上昇時代に対応するスタートだと言い切っている。
東京都北区赤羽の定食屋は、価格を1000円以下に抑えたメニューをずっと提供してきたが、今回思い切って1000円の壁を大きく越えた。すると、ほとんどの客が、価格が高い旬の新メニューを選んだという。
小阪さんは、「意味合い消費」が求められている、と説明する。「どうでもいいものにはお金を使わないが、自分にとって意味があると思ったら、惜しみなくお金を使う」ということだ。
これはピンチでもあり、チャンスでもある。
「意味」を見いだすことができれば、むしろ今までよりも高いものを買う、というスイッチが入るからだ。多くの企業や店舗は、いいものを作り売っているのに、その価値を伝えることを怠っている。
言い換えれば、「伝えていない」と指摘する。自分の商品に価値があると考えるのなら、値上げを躊躇すべきではないというのだ。
顧客がつける「内的参照価格」を意識
「値付け」の作法について、説明している。
原価から価格を決めるのは、時代遅れだという。原価がものすごく安くても、お客さんにとって十二分の価値があれば、常識外れな売価を付けても構わないという。高価なキャラクター商品の例を挙げている。
ありがちな間違いは、「同業他社と比べ、それと揃えようとする」ことだという。たとえば、あるジビエ料理レストランは、猪の肉を使った「ぼたん鍋」を2800円で出していた。みかんを食べた猪の肉を仕入れ、3500円で出したところ、人気商品となった。その後、さらに高単価の商品を連発した結果、客単価は5000円から1万円を突破したそうだ。
原価から積み上げず、他社との比較で考えない。そして、「顧客の視点から価格を付ける」と説明する。
そこで指針の一つになるのが、「内的参照価格」だ。複数あるが、お客さんは自分の記憶から「勝手に」、その商品やサービスの価格の妥当性を判断する、としている。
その際、重要なのは、比較対象は別のものに変えられる、ということだ。売り手のほうが「何と比較してほしいか」を自分で設定するのも一つの方法だという。
北海道のスーパーが、内的参照価格を「スーパーのお菓子」から「デパ地下のスイーツ」に変えてポップでアピールしたところ、より高い価格で売ることができた例を紹介している。
収益化の最大ポイントを探るために、いろいろと実験し、試すことを勧めている。
値引きはスパッとやめる
「安売りスパイラル」からの脱却として、「値引きはスパッとやめるべき」、そして「必要な値上げはやる」と書いている。
「値上げの作法」は、「自社・自店が価値あるものを提供し続けるための正当な対価を要求する。必要であれば値上げをして、理由をはっきりと伝える」ことだ。
いくつか事例を取り上げ、値上げしても「思ったほど売り上げは落ちない」ことを例証している。さらに、「値上げは、自社にとっての優良顧客を絞り込むチャンス」だと。
後半では、以下のようなポイントを挙げている。
・自分が成長したら、価格を上げる
・「ぶっとんだ価格」で、顧客の意識が変わる
・「自分の業種にとらわれてはいけない」
法人顧客を対象とした、BtoBビジネスの場合、価格交渉はよりシビアになる。ここでも「価値を伝える」という基本は変わらない。「自ら進んで値下げを提案していないか」と戒めている。
最後に、小阪さんは「マスタービジネス」への道を提唱している。
商売人は、顧客に有益な価値を提供する「師匠」であるべきというのだ。そうなることで、「価格」から解放される、と考えている。そして、多くの人はすでにマスターとしての知識を持っているとも。
その究極にあるのは、自分のビジネスを「アート」にしていくことだ。そのためには時間を確保することが重要になる。
本書を読みながら、ある食品メーカーのことを思い出した。
田舎の小さな会社である。伝統の食材を扱ってきたが、若い経営者に代替わりして、ヨーロッパ風の味付けをした新商品を開発し、発売。ヒット商品を連発している。ピアニストでもある経営者は、地元で本格的な音楽イベントもプロデュースし、会社のファンも開拓している。経営者、店主が変わることでやれることは無限にある。(渡辺淳悦)
「『価格上昇』時代のマーケティング」
小阪裕司著
PHPビジネス新書
1023円(税込)