企業の危機管理に関しては、多くの本が出ている。しかし、本書「その対応では会社が傾く」(新潮新書)ほど、実践的な本はないだろう。親子2代で編み出された「組織ディフェンス」の真髄が解き明かされている。
「その対応では会社が傾く」(田中優介著)新潮新書
著者の田中優介さんは、明治大学法学部卒。セイコーウオッチ勤務後、リスク・ヘッジ入社。現在、代表取締役社長。著書に「地雷を踏むな 大人のための危機突破術」などがある。
危機管理の4つのステップは「感知」→「解析」→「解毒」→「再生」
こう書けば、普通のキャリアの人のように思われるが、そうではない。本書の書き出しは
「皆さんは尾行されたことがあるでしょうか」
という驚くべき文章で始まる。それも中学生の頃だというから、シリアスだ。
というのも、実は、田中さんの父はリクルート事件の頃、同社の広報課長や総務部次長などを務め、事件への対応にあたったという。そのため、家族へまで危険が及んだ。そして、危機への対処法を大量のワープロ打ち文書で、田中さんに残したのだった。
新型コロナウイルスのパンデミック、東日本大震災以降も続く大きな地震、異常気象による天災、理不尽な犯罪、交通事故、不当なクレーム、訴訟......。こちらに何の落ち度もなくても、危機は突然襲ってくる。
一方、所属する組織の不正行為、あるいは自分自身のミスによって、危機を招くこともある。本書は危機管理の理論を説くとともに、実際にどう対処すべきかを解説したものである。
ここでは、企業名をあまり具体的には挙げないが、本書では企業名を挙げ、その危機管理の失敗をこれでもかと容赦なく批判している。
失敗に共通するのは・気が動転して思考停止に陥る・事態の展開の予測を誤る・多方面からの助言に惑わされる・罪の重さの変化を見落とす、ことなどだ。日産自動車のカルロス・ゴーン元会長の事件などをもとにわかりやすく説明している。
これらを回避するための危機管理の4つのステップとは、危機を素早く「感知」し、現状と展開を「解析」した後に、詳しい説明や謝罪で「解毒」したうえで、窮状からの「再生」を図るというものだ。
「解毒」という聞き慣れない言葉を使っているが、どういうことだろう。「問題の『解毒』」をするには、反省、後悔、懺悔、贖罪という4つのステップがあるという。
「反省」とは、自らが引き起こしたことの影響について深く考えたうえで、どこがいけないかを自ら言語化することだ。次に「後悔」とは、なぜ自分がそのようなことをしたのか、心理的な分析をして考えること。
さらに「懺悔」は、それらを踏まえたうえで、外に向けて語るべき言葉、謝罪の言葉を考えること、最後に「贖罪」では、「口先では」との疑念を払うため、何らかの罰、ペナルティを課すことだ。これらのいずれかが不足していれば、問題は解決しないという。
本書では、東京2020オリンピックを前にした森喜朗大会組織委員長(当時)の女性蔑視発言を素材に、何が問題だったのか、対応の誤りを詳しく分析している。
クレームを6種類に分類
災害やクレームを分類し、それぞれの対応を示しているのも実践的だ。
たとえば、災害を天災と人災の2つに分類。その2つをそれぞれに加害者の危機と被害者の危機の4つに分類している。
その4つをさらに、「人」「物」「金」「情報」の4つに分類すると、災害の種類×自分の立場×損害を受けるもので、全部で16の分野の危機があることがわかる。
また、企業へのクレームには6種類あるという。
1 勘違い (例)自動巻きの腕時計を買ったまま保管して「動かない」と言ってくる
2 ストレス発散 (例)何かささいな行き違いがあって、そのストレスをぶつけてくる
3 良心的 (例)不具合を修理して欲しい、という良心的な要求
4 平均的 (例)新品との交換を要求
5 厳し目 (例)新品との交換とともにわずかなお詫びの品を要求
6 法外 (例)新品との交換に加えて法外な迷惑料や慰謝料を要求
顧客と企業の間には常に、ギャップが生じる。そのギャップを埋める基準は「社会通念」だ。同業他社や似た商品の対応を伝えて、納得してもらう粘り強い交渉が必要だ。
一方、法外な要求に対しては、クレームの電話を録音して脅迫や恐喝の証拠を残し、弁護士を通じて、場合によっては警察に通報してもらう最終手段もあるという。
危機の本質を見極める4つの方法というのも参考になりそうだ。
1 被害者が社会的な弱者か否かを考える
2 社会の処罰感情が高い旬な事案かどうかを考える
3 自分の置かれている立場が、加害者の岸に近いか被害者の岸に近いかを考える
4 期待に反する度合いが、高いか否かを考える
これらを踏まえると、「折れる」「戦う」「かわす」「防ぐ」の4つのいずれかの対応が見えてくるという。
マスメディアへの対応は慎重に
マスメディアへの対応を慎重にするよう求めているが、それはマスメディアが3つの壁に守られているからだ。「公益の壁」、「引用の壁」、「反論の機会提供の壁」だ。長くメディアにいた評者としても、それらを根拠に批判報道をしてきただけに、手の内を見られたような気がする...のは、ここだけの話。
いま、これまで以上に厳しく吟味されているのが、・男女など性差に関すること(ジェンダー問題)・個人情報・プライバシーに関すること・消費者や国民の意識とズレた発言をすること、だとしている。ごく最近の事例を豊富に紹介しているのでビビッドだ。
ここにはポイントだけ挙げたが、本文はゼミナール形式も取り入れて、読みやすく書かれている。
さまざまな分類を列挙したが、危機管理の基本は、「良心に従って、当たり前のことを当たり前に行う」ことだとしている。裏返せば、当たり前のことが出来ない人々があまりにも多すぎるということだ。
現在、問題になっている政府のマイナカードの事例は、どれに当てはまるか考えたが、さまざまな位相で引っ掛かりそうだ。危機管理とは関わりのない人にとっても「頭の体操」として役に立ちそうな本である。(渡辺淳悦)
「その対応では会社が傾く」
田中優介著
新潮新書
836円(税込)