ジャニーズ事務所の創業カリスマ社長である故ジャニー喜多川氏による性的虐待問題が、大きな話題になっています。被疑者はすでに鬼籍入りしており、なぜ今との感覚があるのですが、海外でこの問題を取り上げたTV番組から火がつき、国内でもさまざまなメディアで取り上げられるに至ったようです。
ジャニー喜多川氏の報道で再認識 日本的な組織文化特性の問題点...メディア自身も
国内の関連報道で問題視されている点は主に2点あって、ひとつはジャニー喜多川氏の性的虐待の実態解明と事務所の対応という視点。もう一点は、過去にこの問題は幾度か週刊誌で取り上げられ裁判にもなっていたにもかかわらず、テレビや新聞、あるいは新聞系の週刊誌はほとんど取り上げてこなかったという、本来中立公正であるべきメディアの報道姿勢を問題視する視点です。
筆者の専門領域からは当然後者に関心が高いわけです(事務所の対応もそれなりに気にはなりますが)。ジャニーズ事務所からメディアに対して圧力というかたちで優位的地位の濫用があったか否かという問題以上に、本件から感じられるメディア自身の内部に巣くっている日本的な組織文化特性に、他企業も自省すべき問題をはらんでいるのではないかと思うのです。
ジャニーズ事務所が過去において、本件に関する報道についてメディア側に具体的に圧力をかけたということはなく(無言の圧力はあったと考えられますが)、実際にはメディア側の勝手な判断で報道を差し控えてきたということが、今回メディア自らの口で語られています。このメディアのやり口は、近年では「忖度」という言葉で表されたりもする非常に日本的な対応であり、当事者以外の者にはなんとも不可解なものを感じさせます。
このような、お互いの腹の内を正確に確認することなく、無言のうちに相互理解して事を進めていくことを、「ハイコンテクストな状態」にあると言います。その逆、何事もしっかり確認をして物事をすすめていくことは、「ローコンテクストな状態」です。
「ハイコンテクスト」は、日本の大企業等に長く務めた人には、昭和企業の組織内でありがちな「分かっているよな」とか「良きに計らえ」とか「みなまで言わすな」と言った類の言葉に象徴される、「空気を読む」「阿吽(あうん)の呼吸」と表現した方がピンと来るのかもしれません。
「ハイコンテクストな状態」は、言葉としての馴染みはともかく、日本企業の特性として組織論や比較文化論等でも取り上げられています。特に、日本企業にグルーバル・スタンダード化が求められ始めた2000年以降、昭和企業たちが企業不祥事を引き起こすたびに、その重大な原因のひとつとして「ハイコンテクスト」な組織風土というものがたびたび問題になっているのです。