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「自己啓発本」読み過ぎの人に解毒剤 ネガティブ思考のススメ

   書店の本棚に行けば、ポジティブ思考を説く自己啓発本があふれている。

   だから最初、本書のタイトルを見て間違いだと思った。「ネガティブ思考こそ最高のスキル」(河出書房新社)。 不安や悲観主義、消極性はすぐれた知恵にして戦略だというのだ。いったいどういうことだろう?

「ネガティブ思考こそ最高のスキル」(オリバー・バークマン著、下隆全訳)河出書房新社

   著者のオリバー・バークマン氏は1975年生まれ。英国の全国紙「ガーディアン」記者。英国で最も権威ある報道賞・オーウェル賞・ノミネート。著書に「限りある時間の使い方」などがある。

アメリカの自己啓発本業界「18カ月ルール」とは?

   ジャーナリストらしく、アメリカ・テキサス州のスタジアムで開かれた自己啓発セミナーへの潜入取材の模様から書き出している。

   ポジティブ思考について35冊以上の本を出している自己啓発家の牧師は、「あなたがたの人生から『不可能』ということばを削除せよ! 永久に削除せよ!」と叫んだ。観衆は火がついたように盛り上がった。

   その理論は、ポジティブ思考を凝縮した教義のようなものだという。「もっぱら幸福と成功について考えることにしなさい。悲しみや失敗の亡霊は頭から追放しなさい。そうすれば、自然に幸福と成功を手にすることできますよ」というものだ。

   しかし、その数か月後、牧師が所属する、アメリカでもっとも大きなガラス張りの教会は裁判所に破産を申し立てた。「『倒産』という文字を自分の辞書から消し去るのを怠っていたようだ」と皮肉っている。

   アメリカの自己啓発本業界の「18カ月ルール」も紹介している。ある悩みをかかえた読者が自己啓発本を買って読む。すると18カ月以内に、次の本を買うというものだ。なぜなら、最初に買った本が読者の悩みを解決してくれなかったからだ。

ポジティブ思考で惨めになる?

   こうした取材を通して、著者は以下のような考えに至ったという。すなわち、

「われわれは絶えず不安や心配、失敗、悲しみ、不幸などのネガティブな感情を排除しようとし、懸命に幸福を追求しようとするが、その努力はしばしば空回りし、自らを惨めにする結果に終わるのではないか」

   この考察を心理学者にぶつけると、共感を得たという。つまり、ネガティブな心象や事象に対して、開き直って、受容するスタンスこそ、望ましいというのだ。

   そして、この「ネガティブ思考」は、古代ギリシア・ローマ時代のストア哲学や禅仏教の瞑想などにつながる伝統的なものだと論じている。

   まずはストア哲学から。苦悩を引き起こす究極の原因はわれわれ自身の判断や信念にあるという点では、ストア哲学者とポジティブ思考家は共通している。しかし、ここから両者の考え方は完全に別方向に向かう、と説明している。

   ポジティブ思考家は、将来に対してできるだけポジティブな信念を持つべきだと主張する。しかし、「最初から良い結果を期待するのは、幸福感を味わう上で決して賢明なやり方ではない」とストア哲学者は指摘する。

   いつまでも楽天的であり続けることは、物事がうまく進まなくなったときに受けるショックを大きくするだけだ。

最悪のシナリオを意識的に取り上げる「悪事の熟考」

   最悪のシナリオを意識的に取り上げ、正面から取り組む手法をストア哲学者は、「悪事の熟考」と呼んでいる。これには、いくつか効能がある。

   「自分にとって価値ある物はやがてなくなるだろう」と考えてみると、人間は今の人生を精いっぱい楽しもうとする。これを繰り返すことで、何度も人生の喜びをかみしめることができるという。

   また、不安や心配な気持ちを鎮める「解毒剤効果」もある。物事が悪い方向に進んだとしても、恐れているほど悪くはならないものである。

「平静心は、われわれの不合理な判断を合理的な判断に置き換えることによって生じる。最悪のシナリオをあれこれ描いてみること、つまり『悪事の熟考』はこの目標を達成するためにも最上の方法であることが多い」

   こうしたストア哲学を現代心理学に応用した、アルバート・エリスという心理療法士の教えに従い、著者はロンドンの地下鉄で「恥かき訓練」という奇妙な体験をする。電車が駅に近づき、自動アナウンスが流れる前に、大声で駅名を叫ぶというものだ。

   最初の駅では吐き気を催すほどだったが、次第に慣れた。「恐れているほど悪くはならない」という真実に向き合った、と書いている。

   このような体験取材の成果をいくつか披露している。

   禅の瞑想センターでは、40人の見知らぬ人たちと一緒に、1日約9時間の瞑想をして1週間を過ごした。4日目の終わりにあらゆるネガティブな思考と感情に襲われ続ける、拷問のような思いをした。後にそれは伝統的に瞑想者がかならず通過する「悟りへの初期段階」であることを知ったという。

   「森田療法」を確立した、日本の心理学者、森田正馬のことばを借りて、「私の心の動きは何であれ、すべて単なる精神的事象にすぎず、判断や裁定の対象ではないことに気づき始めたからだ」と書いている。

   以下の章では、目標を立てることの難しさを説き、ジェネラル・モーターズ(GM)の失敗例を挙げている。

   GMは2000年代、シェア「29」%という目標を掲げ、あらゆるところに「29」という数字があふれた。しかし、業績は悪化。09年に倒産。最終的には連邦政府の緊急救済措置を受け、生き延びることができた。このほか、成功体験があてにならないことを論じている。

   最後に、19世紀の英国の天才詩人ジョン・キーツが手紙に書いた「消極的能力」ということばを紹介し、本書で論じてきた、幸福への「ネガティブな道」との類似性を指摘している。

「人間の才能の中でももっとも価値のあるのは、『急いで結論を求めようとしない能力』であり、完全や確実や快適を望む気持ちはあっても、それらをやみくもに追求しないでいる能力である」

   人生の不条理さや不確かさを含む混沌の中を歩むことが、「真の幸福」ではないか、と結論づけ、安易なポジティブ思考が提供する表面的な幸福とはまったく異質だとしている。

   「良き旅人は計画を持たず、行先に執着しない」という中国の老子のことばで結んでいる。

   本書が言及するアメリカの自己啓発本のほとんどが邦訳されている。自己啓発本を読み過ぎているかな、と自覚した人には「解毒剤」になるかもしれない。(渡辺淳悦)

「ネガティブ思考こそ最高のスキル」
オリバー・バークマン著、下隆全訳
河出書房新社
1958円(税込)