3Dグラフィックスの自然や街の中を、自分の分身である「アバター」が歩き回り、他の人が操るアバターと会話する仮想空間「メタバース」。本格的な普及が予想される2030年以降、社会と経済はどう変わるのか?
本書「メタバースと経済の未来」(文春新書)は、気鋭の経済学者が「純粋デジタル経済圏」における資本主義と社会の変容を論じた書である。
「メタバースと経済の未来」(井上智洋著)文春新書
著者の井上智洋さんは、駒澤大学経済学部准教授、慶応義塾大学SFC研究所上席所員。専門はマクロ経済学。著書に「人工知能と経済の未来」「AI時代の新・ベーシックインカム論」などがある。
スマート社会とメタバースのいいとこどりになる?
「人類は今から20年以内に、目覚めている多くの時間をコンピュータ上の仮想空間で過ごすようになる」
井上さんは、本気でこう考えているそうだ。
AI(人工知能)やメタバース、WEB3.0などの発達の歴史を振り返り、そのような予測を立てた。さらに、「この世界はスマート社会とメタバースに分岐する」と見ている。
実空間をデジタル技術によってコントロールし、住みよい社会にしていくスマート社会の方向と、実空間を捨てメタバースの世界に移行し、そちらのリアリティを高めていく方向の2つがある。
標語的に言えば、「リアル空間のデジタル化」がスマート社会であり、「デジタル空間のリアル化」がメタバースだと説明する。どちらに比重を置くべきかは難しい問題だが、大半の人々はスマート社会とメタバースのいいとこどりをして、両方の社会で生きていくのが理想的な配分だと、井上さんは考えている。
AIとロボットがもたらす「純粋機械化経済」とは?
今の経済は、生産活動に必要な主なインプットは機械と労働であり、その両者が組み合わさってモノを製造する「機械化経済」だ。
AI(人工知能)やロボットによる生産活動の自動化が進む将来、「純粋機械化経済」になるという。2045年から60年くらいに実現すると予測している。
そういう時代が到来しても、人間がまったく必要になるわけではない。新しい技術を研究開発したり、新しいビジネスや商品を世に送り出したりする「クリエイティビティ系」の仕事の他、マネジメント系の仕事、ホスピタリティ系の仕事は残るという。
同時に、ロボットなどの機械を設置するために、資金を提供する資本家がより大きな力を持つことになる。総じて純粋機械化経済はクリエイターと資本家が力を持つような経済ということになる。
メタバース内は「純粋デジタル経済」に
説明を重ねると、純粋機械化経済は、基本的には実空間の経済だ。
では、メタバース内の経済はどうかというと、それとはまったく異なる「純粋デジタル経済」と呼んでいる。
デザインしたら生産活動は終わりで、物質的なモノを製造する必要がない、「デジタルな財・サービスのみが供給される経済」だ。
その3つの特徴として、生産活動に必要な「資本財」ゼロ、生産量を増やす際に追加的にかかる費用を意味する「限界費用」ゼロ、それぞれの会社や事業者が差別化された財を提供していて、その財同士にある程度の代替性がある「独占的競争」を挙げている。
したがって、メタバース内の供給は絶対的な過剰性をはらんでおり、供給の無限性、空間の無限性、移動速度の無限性という性質を持っている。
メタバース内の経済では資本財をほとんど必要としないので、資金があまりいらなくなる。分散型自律組織(DAO)とも相性がよく、脱近代資本主義を促進するかもしれないという。
しかし、メタバースが普及しても、その外の社会では相変わらず、資本財の購入のために莫大な資金が必要とされ、株式会社が主流の、これまで通りの経済だ。それでも資本主義は大きく変容すると見ている。
それは、「頭脳資本主義」が全面化した経済だ。
これは、もともとは物理学者で神戸大学名誉教授の松田卓也さんが考案した言葉。労働者の頭数でなく頭脳のレベルが、企業の売り上げや国のGDPを決定づける経済と、井上さんは解釈している。
「頭脳資本主義」で「低所得層」が分厚い社会に
メタバースの普及によって、頭脳資本主義は加速する。
そうなると、年収10万円以下の低所得層がいちばん分厚くて、中間所得層が少なく、高所得層はもっと少ないロングテール型の所得分布の社会になると見られる。
たとえるならば、ミュージシャンや芸人の世界はそうなっているが、それが一般化するのだ。井上さんは以前から、AI時代には国民全員に生活に必要な最低限のお金を給付する社会保障制度である「ベーシックインカム」が必要だと唱えてきた。
それが、メタバースの普及によって、ますますベーシックインカムがないと生活できなくなるという。誰もが頭脳を発揮して稼げるわけではないからだ。
ひるがえって、日本はどうなるのか。
日本はAI後進国であり、すでにメタバース後進国になりつつある、と警鐘を鳴らしている。このままでは、欧米や中国産のメタバースに席巻されそうだ。「日本人の大人は他の国の大人と比べてぶっちぎりで勉強しません」と批判、知的好奇心の低さはしみついたデフレマインドの影響もあると見ている。
そのためには、緩やかな「インフレ好況」が必要であり、政府が家計に直接給付するしかない、と論じている。メタバースは、日本経済逆転のラストチャンスであり、漫画やアニメなどメタバースにふさわしいコンテンツがあるので有利だとも。
そして、日本の伝統的な文化と先端的な技術が交じった「サイバーオリエンタリズム」を提唱している。AIで世界に遅れを取った日本が、メタバースで浮上するのを期待したい。
スマホが登場したとき、これほど長時間スマホの画面に釘付けになると、誰が予想しただろうか。我々とメタバースの関係もそうなるのだろうか? 面白いような怖いような未来が待っている。(渡辺淳悦)
「メタバースと経済の未来」
井上智洋著
文春新書
990円(税込)