クラーク博士と葛飾北斎のチャレンジ精神に学ぼう
人生にミッションを持ち、絶えずチャレンジして世界を変えていってほしい――。卒業生にそう呼びかけたのが、北海道大学の宝金清博(ほうきん・きよひろ)総長だった。
「卒業生の皆さんの今後には、2つの人生の選択が待っていると思います。1つは、世界・社会を変える人生、もう1つは、変わってゆく世界に翻弄される人生です。この2つの人生の差が、どこから生まれるのか明らかです」
「世界を少しでも良い方向に変える人は、常に学び続け、チャレンジし続ける人です。逆に、大学を卒業した瞬間に能動的な学びを忘れ、チャレンジを放棄した人は、世界の変化に翻弄され続けることになります」
そして、年齢を重ねてもチャレンジをやめなかった人として、浮世絵師の葛飾北斎をあげた。
「葛飾北斎が、あの驚くべき富嶽三十六景の神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)を描いたのは、彼が70歳前後の頃と言われています。彼は享年90でこの世を去りますが、死の床で、『自分にもう5年の寿命があれば、真の絵師になれたのに』というような悔恨の言葉を残しています」
もう1人、不屈のチャレンジ精神の持ち主を挙げた。北海道大学の創立者、ウィリアム・スミス・クラーク博士だ。
「クラーク先生は、今から約150年前に、アメリカ東海岸、ボストンに近い、マサチューセッツ農科大学の学長という高い地位にいました。1876年、彼は大陸を横断し、命がけで太平洋を越え、東京で英語を学んだ学生13名と共に、荒涼たる札幌にやってきます」
「クラーク先生のこの選択は、どう考えても凡人の想像を超える挑戦であったと思います。札幌農学校の礎を築くというミッションを成し遂げると、彼は、『Boys be ambitious, like this old man!』(少年よ、大志を抱け。この老いた男のように!)という、実にシンプルで、心に突き刺さるメッセージを残して、札幌を去ります」
帰国したクラーク博士は事業を起こしたが、不運が重なり、不遇のうちに59歳で、生涯を終えた。
宝金総長は卒業生にこう訴えた。
「皆さんは、私たちの最高のロールモデルであるクラーク先生の『Be Ambitious』の精神を胸に、学びを続け、挑戦を続け、勇気をもって、これから始まる新しい人生を堂々と歩んでください」