夢、ついえる...三菱重工、「国産ジェット旅客機」開発が頓挫 技術力への過信、対応の遅さ、社内体制の不備...約500億円投じた経産省の責任も

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三菱重工・泉沢清次社長「技術を事業にするための十分な準備、知見が足りなかった」

   プロペラ旅客機「YS11」が1973年に生産を停止して以来の国産旅客機を復活させようというのが、「日の丸ジェット」の事業だった。

   航空機は自動車の数倍になる100万点単位の部品を使い、関連産業の裾野が広く、産業振興、技術力強化の点から、日本の経済の体力強化に貢献するものとして期待されていた。

   前述のように、国はこれまで約500億円を投じて、先進操縦システムや機体の軽量化につながる炭素繊維材料の技術開発などを支援してきた。事業スタートにかかわった金融関係者は「通産省(現経産省)が音頭を取った」と語るように、事実上の「国策」とも言えるものだった。

   三菱重工にとっても長年の夢だった。

   明治時代から、旧財閥の中でも国につかず離れず、突出しないが国策にはついていくのが三菱の伝統。加えて、三菱重工は戦前の「ゼロ戦」に代表されるように、技術力には自負があった。

   だが、今回は、その技術への自信があだになった。

   2015年に初飛行が成功して以降、約3900時間の試験飛行を重ね、機体の完成度を高める努力を続けてきた。「技術がなければ、試験飛行はできなかった。ただ、その技術を事業にするための十分な準備、知見が足りなかった」と、泉沢社長は悔しそうな表情を見せる。

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