過去の「出井=安藤体制」「ストリンガー=中鉢体制」からの学びとは
あくまで内部事情を知らぬ立場からの浅い考えかもしれませんが、企業の立て直し期は文系的マネジメントが必要であったとしても、長い「ソニー冬の時代」を経て、ようやく完全復活した今なら、「技術のソニー」としてはいよいよ技術系トップを据えて管理だけではなく、開発の面からも組織をリードするのが良いのではないか、と。そうとらえるのは、私ばかりではないように思います。
ただ、先にも申し上げた通り、今は企業経営にとって未曽有の難局であり、それを乗り越えつつ成長戦略を描いていくには、やはりマネジメントに強い管理系経営者がより力を発揮する時代なのかもしれないということも、理解できる部分ではあります。
実はソニーでは過去にも2度、「会長=社長」の「経営分業」を実行しています。
最初は2000年の出井伸之会長兼CEO=安藤国威社長体制、二度目は05年のハワード・ストリンガー会長兼CEO=中鉢良治社長体制です。前者のケースでは、デジタル社会の急進展にソニーが後れを取って戦略が空回りし、市場が予想だにしていなかった急激な業績悪化により、03年に「ソニーショック」という証券市場の大暴落を引き起こすという大失策を招いています。
ちなみに、出井氏も安藤氏も共に文系役員であり、その意味では今回の吉田会長兼CEO=十時社長体制と類似しています。のちに出井氏は自身の著書『迷いと決断』の中で、「ツートップ体制により求心力が分散した」と文系ツートップ体制が自身の戦略上最大の失敗であった、とこれを振り返っています。
この体制の「失敗」を受けてスタートしたストリンガー=中鉢体制は出井氏の置き土産的新体制で、ストリンガー氏が文系、中鉢氏が技術系という文理分業タイプの「経営分業」だったのは、出井氏自身の反省に立ったものだったように思われます。
しかし結果的には、これも思うようにいきませんでした。米国人文系リーダーと日本人技術系リーダーとの分業は、国民性の違いという点がいかんともしがたく、ツートップの意思疎通に問題があったようで、この分業は全く機能することなくソニーは引き続き長い冬の時期を過ごすことになったのです。
吉田氏は「出井=安藤体制」も「ストリンガー=中鉢体制」も幹部社員として目のあたりにしているわけで、その学びの上に立って今回の「吉田=十時、二頭体制」に至っているのは間違いないでしょう。
すなわち、急速かつ複雑な変革の時に必要なマネジメントとして、自己の「分身」に既存戦略の維持・進行を委ねつつ、自らはCEOとして成長戦略の指揮を執るべきというのが、過去の学びを以て至った結論だったのかと思います。
果たしてこの「分身二頭体制」による経営分業が、功を奏するのか否か。日本のトップ企業のマネジメントとして、大いに注目に値すると思います。(大関暁夫)