「ウエダ、フー(誰だ)?」。日本銀行の次期総裁人事にサプライズが起こった。
4月で任期が切れる黒田東彦総裁の後任に、岸田文雄首相は経済学者の植田和男・共立女子大教授(71)を起用する意向を固め、2023年2月14日に国会に人事案を提示する。
学者出身の総裁は戦後初めて。新体制の日本銀行がどんなスタンスで金融政策に臨むのか未知数だ。市場は「どうする植田新総裁?」と注目する。エコノミストの分析で読み解くと――。
「私は学者だから判断は論理的に、説明は分かりやすくする」
報道をまとめると、植田和男氏は次期総裁候補をめぐる報道では全く名前が挙がっていなかった。本命視されていた雨宮正佳副総裁や中曽宏元副総裁は、2人とも固辞したとされる。2月10日午後、植田新総裁の人事案が駆け巡ると、自民党幹部は「WHO is ウエダ?」と絶句したと伝えられている。
植田氏は、東京大学理学部を卒業後、マサチューセッツ工科大学大学院などで研究活動に取り組み、東京大学経済学部の教授を務めた。その後、日本銀行の審議委員を務め、1999年に日本銀行が「ゼロ金利政策」や「量的緩和政策」を導入した時、理論面で支えたとされる。
植田氏は2月10日夜、自宅を訪れた記者団に対し、人事については「何も言えない」としながら、「今の日銀の大規模な金融緩和をどう思うか」と問われ、「金融政策は景気と物価の現状と見通しにもとづいて運営しなければいけない。そうした観点から現在の日本銀行の政策は適切であると思う。現状では金融緩和の継続が必要と考えている」と述べたのだった。
さらに、「金融政策を運営するうえで何が重要か」と聞かれると、「私は学者だから、いろいろな判断は論理的にすること。そして説明は分かりやすくすることが重要だ」と語った。
政府は、植田和男新総裁の人事案と同時に、副総裁には、前金融庁長官の氷見野良三(ひみの・りょうぞう)氏(62)と、日本銀行理事の内田真一氏(60)を充てる人事案を国会に提出する。
「タカ派やハト派に偏らない、バランスのとれた陣容」
今回の人選、エコノミストはどう見ているのだろうか。
「チーム植田」はバランスが取れた陣容で、「岸田首相の独自色が出ている」と評価するのは、三井住友DSアセットマネジメントのチーフマーケットストラテジスト市川雅浩氏だ。
市川氏はリポート「日銀総裁に植田氏起用へ~注目される政策運営と市場への影響(2月13日付)のなかで、植田氏を支える新副総裁の2人に注目した。
氷見野良三氏は旧大蔵省出身で、スイスに本部を持つバーゼル銀行監督委員会(BCBS)の事務局長を務めるなど、国際金融行政に精通している。BCBSとは、金融機関を対象とした国際的なルールを定めるためにG10(主要10か国)の中央銀行総裁会議が創設した国際機関だ。
ほかにも、国際金融システムの維持を図る金融安定理事会(FSB、本部スイス)の要職も努め、海外との豊富な人脈をもっている。
一方、内田氏は日本銀行生え抜きで、金融政策を企画・立案する企画畑を長く歩んできた。マイナス金利やイールドカーブ・コントロール(YCC)を導入する際の実務を取り仕切った人物で、黒田体制下での異次元緩和の政策運営に精通しているという。
この2人を、学者で理論家肌の植田和男氏の参謀に配した「トロイカ体制」が絶妙だと、市川氏は指摘するのだ。
「植田氏は1998年4月から2005年4月までの7年間、速水優元総裁や福井俊彦元総裁のもとで審議委員を務めました。学者かつ黒田東彦総裁の在任期間以前の元審議委員という人選は、岸田文雄首相の独自色がうかがえます。
政府は、この先、金融緩和を継続するにせよ、一部の緩和策の歪みや不具合を正すにせよ、植田氏の学術理論に基づいて内田氏が具体的な政策を立案し、氷見野氏が金融機関や金融システムへの影響を分析するという体制の構築を、念頭に置いたのではないかと推測されます」
そして、こう付け加える
「経験豊富なスペシャリスト3名を起用したことで、政策運営は緩和継続も、緩和修正も、さらには将来的な引き締めも、柔軟な対応が可能となり、タカ派やハト派に偏らない、バランスのとれた陣容という印象です。
また、黒田体制の政策参謀とされる内田氏を起用したことで、岸田首相は自民党最大派閥である安倍派の意向を踏まえるなど、政治的な配慮も怠らなかったと判断されます」
金融大幅緩和が柱のアベノミクスの継続を主張する安倍派への布石を打った一石二鳥、いや一石三鳥の人事だというわけだ。
「学者出身が注目されているが、実際は日銀に極めて近い人」
一方、植田氏は「学者出身」という面がクローズアップされているが、実質的には「日銀の人」で、日本銀行事務方が今回の人事の背景にいるのではないか、とみるのは、野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミストの木内登英氏だ。
日本銀行政策審議委員の経験を持つ木内氏は、リポート「日銀新体制の課題(4):植田新総裁は異例の金融緩和の枠組みを慎重に見直しへ」(2月13日付)のなかで、こう指摘する。
「植田氏は、金融政策を専門分野とする学者である一方、1998年から2005年まで7年間、日本銀行の審議委員を務めた。つまり、理論と実践の双方から金融政策の専門家である点が評価された人選である。ただし、それは、日本銀行が推薦したものである可能性が高い。黒田総裁のもとでの『事実上の正常化』を進めてきた事務方の意向が反映されているだろう。
植田氏は事務方と一体で、金融政策の枠組みを点検し、修正していく方向に動くことが予想される。植田氏は、国会、政治対応などでの手腕は未知数であり、多くの点で事務方の強いサポートが必要だ。そうした点で事務方の協力を仰ぐことの引き換えに、政策運営では事務方の意向も柔軟に取り入れる姿勢となるのではないか。
植田氏は、審議委員退任後も日銀金融研究所特別顧問に就くなど、現在に至るまで日本銀行との関係は深い。戦後初めての学者出身の総裁という点が注目されているが、日本銀行としては日本銀行に極めて近い人物が、再び総裁になると歓迎しているだろう」
今後、新総裁として植田氏はどんな金融政策を行なっていくだろうか。木内氏はこう予想する。
「新たな総裁の下、金融政策で日本銀行が最初に着手するのは、第1にYCC(イールドカーブ・コントロール)の大幅な見直しであり、利回り変動の再拡大や変動幅の撤廃などが考えられる。これは最短では今年4月に実施されよう。
第2に、2%の物価目標を中長期の目標などに修正することで、柔軟な金融政策を取り戻し、正常化を進める環境を整えることだ。これは、共同声明の見直しという形で最短ではやはり今年4月に実施される可能性があるが、実際には政府との調整、あるいは政府と自民党との調整に手間取り、実施が遅れる可能性がある。
第3が、マイナス金利解除、YCC撤廃と考えられるが、その実施は、経済・金融面での環境が整った後であり、2024年半ば以降と考えられる」
ただし、正常化の道は非常に遠く、結局、数代の総裁が関わることになるとして、木内氏はこう結んでいる。
「植田新総裁の任期中に金融政策の正常化が完了することはなく、その次、さらにそれ以降の日本銀行の総裁も、政策正常化の重責を担わされることになるだろう」
「指値オペ停止」「YCC見直し」「短期金利のマイナス解消」の順に進む?
一方、比較的速いペースで金融政策の正常化が進んでいくのではないかとみるのは、第一生命経済研究所首席エコノミストの熊野英生氏だ。
熊野氏はリポート「植田総裁で何かが変わる?~Q&Aで答える~」(2月13日付)のなかで、一問一答形式で7つの問いに対する見立てを披露している。そのうち、5つの質問の答えを整理すると――。
Q1:政策修正を行うか。いよいよ出口戦略に着手するか?
Yesだろう。もし、2023年度物価見通しが2%を超えると予想されれば、YCC(イールドカーブ・コントロール)は見直されるだろう。その先には短期金利マイナス0.1%を是正する課題があり、出口とはその段階を指すのだろう。
新総裁は、就任直後に新しいコミットメントを提示する見通しだ。展望レポートは2023年4月、7月、11月に発表される。そこで物価情勢を確認しつつ、黒田体制の枠組みの修正に着手する。ゴールは「出口」だが、ゆっくりと進んでいくかっこうになろう。
Q2:YCCの見直しはいつか?
YCCを撤廃すると、長期金利が跳ね上がるので、いきなりの撤廃はない。長期金利コントロールを有名無実化するために、上限をさらに0.75%、1.00%と引き上げていき、その先に撤廃がある。
2023年4月以降に間を置かずに、物価・政策効果の再検証、共同声明の再確認をする。新しいコミットメントの提示はそれを踏まえるだろう。その後にYCCの見直しをすると予想するが、そこまでのタイミングは意外に早く来そうだ。
Q3:いつ再検証、共同声明の再確認を行うのか?
4月27・28日に決定会合がある。物価・政策効果の再検証、点検がこのタイミングに実施される可能性がある。もう1つ定義し直す必要があるのが、2%の物価目標達成に関するコミットメントだ。すでに、消費者物価は2%を超えて、4%にまで達している。オーバーシュートした物価上昇率を新体制がどうみるかは明らかにすべきだろう。
Q4:国債買い入れはどうするか?
問題は(日銀が利回りを指定して、国債を無制限に買い入れる)指値オペだ。長期金利の上限を超えた金利水準は容認しない。指値オペをやらないということは、長期金利の上昇を容認するということだ。
(副総裁になる)内田氏の腕の見せどころだ。選択肢は、0.50%以上の長期金利は容認して、指値オペは打たないというものだ。市場実勢には逆らえないと説明して放任する。金利重視の政策に戻るというシグナルになる。
Q5:出口はいつか?
出口の意味は、利上げだと考えられているが、実は、定義はあまり明確ではない。植田氏はその手前で「出口とは何か」を定義するだろう。そして、出口に至るための経済・物価の条件を明らかにする。
課題は、(1)指値オペの停止、(2)YCC見直し、(3)短期金利のマイナス金利の解消、の順番だろう。時間軸で言えば、(1)と(2)は2023年内だとしても、(3)は2024年以降になると予想される。
(福田和郎)