アベノミクスの金融政策を象徴する人事とされる、黒田東彦・日本銀行総裁の任期終了が春に迫り、アベノミクスの功罪について検証が行われようとしている。
本書「アフター・アベノミクス」(岩波新書)は、内部資料や証言をもとに、アベノミクスのその後を描いた本だ。
「アフター・アベノミクス」(軽部謙介著)岩波新書
著者の軽部謙介さんは、ジャーナリスト、帝京大学経済学部教授。時事通信社解説委員長などを経て、2020年4月から現職。著書に「検証 バブル失政」「官僚たちのアベノミクス」「ドキュメント 強権の経済政策」などがある。
金融政策から財政政策へと「アベノミクスは途中から変質した」というのが、本書の最大の主張である。なぜ、シフトしたのか、日銀と財政当局は何を考えていたのか。関係者の話や資料を基に、政策立案過程を記録したドキュメント風のつくりになっている。
自民党の「財政再建に関する特命委員会」でのやりとり
冒頭、コンパクトに問題意識をまとめている。それは、安倍政権、菅政権、岸田政権と移っても、アベノミクスの影響は日本経済に浸潤してしまったという。
「できるだけ早期に物価上昇率を2%に引き上げる」という目標を達成できずに終わった日銀は、膨れ上がったツケを慎重に処理しようとしているが、金利が上昇に転じたとき、どのような津波が襲ってくるのかはわからない、としている。
一方、経済政策では財政に比重が移り、新型コロナウイルスの感染拡大により、拍車がかかった。
「デフレは貨幣的な現象なのだから金融緩和で克服できる」とリフレ派は主張していたが、「財政出動でもデフレは解消できる」という現代貨幣理論(MMT)を背景にした積極財政派の声にとって代わられた。
この間のいくつかの節目に焦点を当てることで、変質の過程を描いている。
あまり注目されない自民党の会合の模様が詳細に書かれている。「なぜ、こんなに詳しく」と思ったが、最後まで読んで納得した。第1章「特命委員会」は、自民党の「財政再建に関する特命委員会」、通称「特命委」でのやりとりを紹介している。
2015年当時は、稲田朋美政調会長が委員長だった。全部で23回開催され、濃密な議論が交わされた。プライマリー・バランス(PB)がしばしば話題になった。
PBとは「基礎的財政支出」のことで、「国債費以外の政策的経費をどれだけ税収で賄えているか」を示す指標。政府は「2020年度までのPB黒字化」を健全化目標として、閣議決定していた。
積極財政派の西田昌司・参議院議員は、PB目標に否定的で、目標達成のために歳出を抑制するのは間違いだと主張した。京都選出だったことから「京都学派」とあだ名されたエピソードを紹介している。
この頃、特命委での財政健全化路線に対する西田議員らの抵抗は、「党内の地殻変動を表す胎動に過ぎなかった」と書いている。
リフレ派の反省
物価上昇率は、なかなか2%に届かない。
2017年の総選挙の後、「緊縮財政が日本の停滞を生んだ」という声が聞かれるようになった。内閣官房参与の藤井聡・京都大学教授は「消費税は8%から5%に引き下げてもいい」と主張、若手議員らとの勉強会を仕掛けた。
「緊縮財政のみではだめだ」とする動きは、「アベノミクスのイデオローグ」と言われた人々の間でも顕在化していった。リフレ派の「教祖的存在」と言われた岩田規久男・日銀副総裁も財政をより重視する方向に傾き、こう発言した。
「日銀の金融超緩和政策だけではインフレ予想を上げることができず、2%の物価安定目標の達成に失敗する可能性が極めて高い」(ロイター通信、2019年2月18日配信)
リフレ派は、途中から2014年の消費税増税によるマイナスのインパクトが大きかったなどと責任転嫁していった。「アベノミクスを失敗と言わせないためにも財政が必要だ――。安倍はそんな思いを深めていったようだ」と書いている。
財政積極派の伸長
菅政権もアベノミクスを継承した。しかし、関心はインバウンドなどミクロな政策に向けられた。その後は、新型コロナウイルスの感染拡大対策にエネルギーを取られた。
そして、岸田政権が誕生。矢野康治・財務省事務次官による「バラマキ財政批判」の論文を、2021年10月、月刊「文藝春秋」が掲載。アベノミクス批判につながりかねない内容で、政治家からの批判もあったが、直後の総選挙で自民党が勝利し、更迭は避けられたと見ている。
その後、コロナ復興税、コロナ特別会計など、財務省のアイデアは、岸田首相から棚上げされた。
自民党の「財政政策検討本部」の最高顧問に安倍元首相が就き、前出の西田議員が本部長となった。同議員のかつて特命委での扱いは、いわゆる「ガス抜き」だったが、状況は大きく変化していた。
財政積極派は安倍元首相という後ろ盾を得て、財政再建を主張する議員の声を切り捨てるまでに成長。立場は完全に逆転していた。そして、2022年5月19日の報告書には、こう書かれていた。
「PBは重要な指標ではあるが、カレンダーベースでの目標設定が、状況に応じた必要かつ柔軟な政策対応を妨げ、マクロ経済政策の選択肢をゆがめることがあってはならず、今後十分に検証をおこなっていくべき」
PB目標は邪魔だ、という趣旨の内容だという。
一方で、岸田首相も日銀の審議委員の人事でリフレ派の後任をリフレ派から出さず、それはアベノミクス離れという意図を感じさせた。そして、7月、元首相銃撃事件が起きた。
本書はこの事件をプロローグに置き、アベノミクスにかかわった人たちの動静を伝えている。アベノミクスは当初の姿から大きく変貌していた。論を最小限に止め、誰がどう語ったかを淡々と記述したことが、かえって本書の価値を高めている。
アベノミクスの検証作業の基礎的資料になるだろう。(渡辺淳悦)
「アフター・アベノミクス」
軽部謙介著
岩波新書
968円(税込)