2023年2月6日、金融市場に大きなニュースが流れた。日本経済新聞が同日付紙面で大詰めを迎えている日本銀行次期総裁人事に関して、政府は雨宮正佳(まさよし)副総裁(67)で最終調整に入った、と報じたのだ。
雨宮氏は、黒田東彦総裁の大規模金融緩和政策を支えてきた人物。市場は金融緩和策が維持されるとみて、ドル円相場は1ドル=132円台に円安に振れた。
仮に雨宮氏が日銀総裁になったら、日本経済はどう動くのか。また、今回の「日銀人事」の背景には何があるのか。エコノミストの分析を読み解くと――。
金融市場、「本命」雨宮氏なら低金利維持で円安との見立て
報道をまとめると、これまで日本銀行の次期総裁の有力候補として名前が挙がっていたのは、雨宮正佳・副総裁をはじめ、中曽宏・前副総裁(現・大和総研理事長)、山口広秀・元副総裁(現・年金積立金運用管理独立行政法人経営委員長)の3人。ほかに、伊藤隆敏・コロンビア大学教授、翁百合・日本総合研究所理事長らの名前も浮上していた。
雨宮氏は、最も有力視されている。市場関係者の間では、「本命」雨宮氏が選ばれれば、黒田総裁路線が継承されて低金利維持=円安につながるが、ややタカ派と見られる中曽氏なら逆に円高に動く、との見立てが広がっていた。
そして、山口氏が選ばれれば「サプライズ人事」となり、日本銀行が一気に超金融緩和政策終了に向かうというメッセージにつながり、大幅な円高や世界的な債券利回り上昇につながる可能性が指摘されていた。
山口氏は、安倍晋三元首相の大幅金融緩和政策(アベノミクス)に最後まで抵抗したとされる白川方明(まさあき)前日本銀行総裁を副総裁として支えてきた人物だからだ。
一方、中曽氏は2月2日、APEC(アジア太平洋経済協力)ビジネス諮問委で金融作業部会議長を担うことが発表され、次期総裁選考レースから外れたとみられている。
そんななか、日本経済新聞が2月6日付で「日銀総裁人事大詰め 雨宮氏に打診」という見出しで、政府が雨宮氏に就任を打診、与党などとの最終調整を経て2月中に国会へ同意人事案を提示する、と伝えた。
しかし、雨宮氏は同日、打診を受けたのかとの記者団の質問にコメントを控えた。鈴木俊一財務相も「何も聞いていない。全く知らない」と述べた。岸田文雄首相は「(日本経済新聞が)観測気球を上げているのだろうなと想像しているが、それについて何か申し上げることはしない」と述べるにとどめた。
なお、雨宮氏は東京大学経済学部卒、1979年日本銀行入行。金融市場局金融市場課長、企画局長、日本銀行理事などを歴任。日本銀行のエースとして金融政策の企画・立案を担う企画畑を中心に歩み、政界や財界との人脈も豊富という。
雨宮新総裁誕生のバックには、「黒幕」黒田総裁の思惑か?
こうした報道についてエコノミストはどう見ているのだろうか。
仮に雨宮氏が新総裁に就任するとすれば、「黒幕」の黒田総裁がバックにいるだろうと推測するのは第一生命経済研究所首席エコノミストの熊野英生氏だ。
熊野氏はリポート「日銀総裁に雨宮正佳氏を打診~黒田路線を極力踏襲~」(2月6日付)のなかで、岸田首相は円安・物価高を歓迎してないはずなのに、なぜ中曽氏を選ばずに、黒田路線の承継が強まるとみられる雨宮氏を選んだのか、と問いかける。
1つに「与党内には日銀の政策に円安・超低金利を厳しく要求する人は多い」という政治力学があるが、黒田氏が岸田首相に、「中曽氏を選ばなくても、今の雨宮氏のままで(岸田首相の)意向が反映されると感じさせた」ことがあるという。
いったい、どういうことか。
「12月会合では長期金利の上限を0.50%に引き上げる決定が行われた。しかも、政策委員全員一致の決定である。なぜ、黒田総裁が掌を返したのかは、未だに真相が分かっていない。
有力な観測としては、総理の意向を反映させただけではなく、次期日銀総裁が雨宮氏になっても、その意向は存続させるというメッセージを日銀側から送ろうとしたのではないかと考えられている。
黒田総裁からすれば、『次期社長が後任社長の人事に多大な影響を与えた』ということで、雨宮氏には貸しをつくることになる。岸田首相には、中曽氏を選ばなくても、今の雨宮氏のままで意向が反映されると感じさせた。黒田総裁からすれば、一石二鳥の妙手を打ったことになる。次期総裁が卓を囲んでいる現副総裁であれば、他の政策委員たちも反対票を入れるはずがない」
しかし、雨宮氏はいったん総裁になれば、黒田氏の意向から離れて、少しずつ日本銀行の政策を修正していくだろうと熊野氏はみる。
「雨宮氏が総裁になれば、局面ごとに立場の違う意見に耳を傾けて、時間をかけてYCC(イールドカーブ・コントロール)の撤廃に動くだろう。日銀にとってYCCは金縛り状態だから、特に長期金利コントロールは有名無実化したいと考えているはずだ。
それは、量的・質的金融緩和を2016年にYCCに衣替えしたのと同じ方針転換になるだろう。他の人物よりも雨宮氏に一日の長があるとすれば、そうした方針転換を主導してきたのが、まさしく雨宮氏であるからだ。
雨宮氏は、岸田首相、与党内の意見、黒田総裁などのステイクホルダーの意見を調整しながら、時間をかけてYCCの修正、その先の撤廃を実行していくだろう」
そう雨宮氏に期待するのだった。
「明確な正常化」を狙ってきた「日銀事務方」の影響力大きい
一方、今回の「総裁人事」の背景には、日本銀行の金融政策を事実上動かしている「事務方」の働きがあるのではないか、と指摘するのは、野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミストの木内登英氏だ。
木内氏は、日本銀行政策委員会審議委員を務めた経験もあり、リポート「日銀次期総裁人事で政府が雨宮副総裁に打診との報道」のなかで、まず、雨宮氏の政策姿勢についてこう説明する。
「副総裁経験者で総裁候補に名前が挙がっていた中曽前副総裁、山口元副総裁と比べれば、雨宮副総裁は、金融緩和にやや積極的と言えるだろうが、黒田総裁と比べればかなり慎重であり、その差と比べれば他の2人の候補との政策姿勢の差は小さいといえるだろう」
そして、「事務方の力」についてこう指摘する。
「雨宮新総裁あるいは他の新総裁のもとでも、金融政策の柔軟化、正常化は進むと考えられる。政策の修正は、事務方主導で進められることが予想され、その際に、日本銀行出身の総裁であれば、より一体で円滑に進めやすいだろう。
黒田総裁のもとでも、『事実上の正常化』ともいえる柔軟化策、副作用対策はすでに事務方主導で進められてきたのである。金融政策運営に与える事務方の影響力は、一般に考えられているよりもずっと大きいといえる。
総裁が変われば、事務方は『事実上の正常化』を進めるのではなく、政策方針の転換の考えを明確に示して『明示的な正常化』を進めることができる。黒田総裁のもとでも、彼らはそれを長らく狙っていたのではないか」
仮に雨宮新総裁になったとしたら、日本銀行の政策はどう変わるのだろうか。
「2%の物価目標を中期目標などに修正し、より柔軟な金融政策運営を行うことができるような環境を整えることは、4月の会合以降、比較的早期に行われるとみておきたい。YCCの一段の柔軟化も考えられる。しかし、YCC廃止、マイナス金利解除などの本格的な正常化策には直ぐには着手しないだろう。
早期に正常化策が進むとの観測が金融市場に広がれば、円高が急速に進み、経済に打撃となる可能性が出てくる。新総裁も当初は、総裁交代によって金融政策が大きく変わることはない、という点をことさら強調する可能性があるだろう」
結局、「YCC廃止、マイナス金利解除などの本格的な正常化策の実施は、2024年半ば以降になると予想される」と木内氏は結んでいる。(福田和郎)