企業がデジタル技術を活用し、業務の改善のみならず、ビジネスのあり方を根本的に変革していく取り組み――デジタルトランスフォーメーション(DX)。経済産業省も、企業のDX推進を後押しするなど、いまや企業経営における最重要テーマとなっている。
そんななか、DX先進企業として存在感を発揮するのが、讃岐うどん専門店「丸亀製麺」などを展開するトリドールホールディングス(トリドールHD)だ。
「DX推進に取り組む前、現場も経営層も、自社のシステムに対して『このままではいけない』という危機感がありました」
こう語るのは、DX推進のキーパーソン、トリドールHD 執行役員 CIO/CTOの磯村康典さんだ。DXの成功によって、いま、現場である店舗も大きく変わりつつあるという。
◆特別対談:執行役員 CIO/CTO・磯村康典さん×経営学者・入山章栄さん
左=経営学者・入山章栄さん(早稲田大学ビジネススクール教授)、右=トリドールHD 執行役員 CIO/CTO・磯村康典さん
今回、経営学者の入山章栄さん(早稲田大学ビジネススクール教授)が聞き手となって、磯村さんに、トリドールHDのDXの進め方をひもとく対談をおこなった。入山教授の専門は、経営戦略論、国際経営論。DXのテーマへの造詣も深い。
「多くの企業の参考になる」と入山さんも太鼓判を押すトリドールHDのDXは2019年秋に始まり、23年春に一区切りとなる。わずか3年で店舗も本社も様変わりさせたDXとは?
店長の仕事をラクに...お店は「食の感動体験」を生む接客へ集中を
入山章栄 トリドールHDのDX推進の立役者として活躍された磯村康典さんにおうかがいしたいのは、なぜトリドールHDのDXがこれほど成功したのかについてです。まずは、スタート地点のことを教えてください。
磯村康典 私がトリドールHDに入社(転職)して、CIO(最高情報責任者)の職に就いたのは2019年9月で、それからDX推進の取り組みがスタートしています。
就任してすぐ、2つのことに取り組みました。1つ目は、社内へのヒアリングです。現場の責任者、それから事業会社の幹部クラスに、既存の業務システムにどんな不満や要望があるか、聞いていきました。2つ目は、財務諸表の確認。社内のITコストは、実際どれくらいかかっているのか、つかむための作業です。
こうして、自社がおかれている情報システムを取り巻く実態について、社員のみなさんの気持ちと、数字(金額面)の双方を把握することから手をつけていきました。
トリドールHD執行役員 CIO/CTOの磯村康典さん
入山 実情を把握されてみて、いかがでしたか。
磯村 そのときに思ったのは、現場のみなさんは、「既存の業務システムのままではやりにくいから、どうにかしてほしい」という気持ちがあったこと。そして、トップを含めた経営層も強い危機感を持っていました。
トリドールHDではかねてから、「真のグローバルフードカンパニー」になる、というビジョンを掲げています。今後、この高い目標を達成するためには、変化に対応して、成長スピードを上げる必要があるのではないか。従来のやり方は、海外展開への足かせになるのではないか。こうした認識を持ったのです。これは、DX推進をドライブさせていくために重要なポイントだったと思います。
入山 ヒアリングによって、社内の状況が明確になっていったわけですね。
磯村 では、具体的にどうしたか。会社がスピーディーに成長していくには、自前でIT資産を持つのではなく、身軽な体制や仕組みのほうがよいだろう、と考えました。
そこで打ち立てたのが、(1)「オンプレミス」と呼ばれる自前のシステムで運用することをやめて、クラウド上で動作するソフトウェア「SaaS(ソフトウェア・アズ・ア・サービス)」の利用に切り替えていく。
そして、(2)バックオフィスの定型業務は、BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)を活用する。この2点です。こうした大筋のビジョンを描いて、2019年12月、のちのDX戦略「DXビジョン2022」の下地となる、「ITロードマップ」としてまとめました。
入山 こうした改革は、「言うは易し」ですが、実際にやるのはとてつもなく大変なことです。このうち、SaaS化への取り組みについて、詳しく教えてください。とくに現場は、どう変わったのでしょうか。
磯村 現場である店舗で役立つ改革として、まず、「丸亀製麺」のPOSシステムをすべて入れ替えました。フードデリバリーサービス(Uber Eats、出前館、など)やモバイルオーダーを受けられるようにしたかったからです。しかも、注文内容はひとまとめで閲覧できたほうが使い勝手がいい。従来のPOSシステムではそうした操作ができなかったので、SaaSに切り替え、iPadで使えるサブスクリプション型のPOSアプリを導入したのです。
入山 私もDXをテーマとする講演でよくお話ししていますが、やはり自前でシステムを持つことに比べて、SaaSを活用したほうが安い、ということがありますね。自前の巨大なサーバーではメンテナンスにそれなりの費用がかかりますから。
経営学者の入山章栄さん(早稲田大学ビジネススクール教授)
入山 もともと日本企業の特長は、現場が強かったことだと思います。ところが現在は、人手不足なども影響して、現場は忙しすぎて疲弊しています。デジタルを導入する価値は、ここにある。
現場の仕事がラクになり、本来のサービス業の本質である、お客さんにもっと向き合って「人でないと、できない価値」の提供に集中できるようになるからです。言うまでもなく、接客で本当に必要なことは、「気持ちのいい店員さんだ。また来よう」とお客さんに思ってもらう――そこにありますよね。
トリドールHDもSaaSの導入により、店舗業務の仕事はラクになって、より接客に集中できるようになったのではないでしょうか。
磯村 まさにおっしゃっていただいたことに、私たちは力を入れています。トリドールHDが目指している「食の感動体験」を生み出す原動力は、なんといっても、お店を任されている店長です。しかし、外食産業全般に言えますが、店長はとにかく忙しい。理由は2つあります。
1つ目は、ワークスケジュールです。お店で働くみなさんのシフトを組むことですね。シフトのスケジュールが埋まらないと、やはりメンタル的に疲れるものがあります。2つ目は、発注業務。発注は毎日ありますが、数を決める行為はプレッシャーを伴います。ロスが出たらどうしよう、と。そこで、この2つの業務をなんとか自動でできないかと考えています。
入山 そのための解決策とは。
磯村 それが、AI(人工知能)による「需要予測システム」です。簡単に言うと、過去データと天気から需要を予測して、発注数などを決めていくもので、その精度がだんだん改善されてきました。ゆくゆくは、全店舗にこのシステムを展開していきたいと考えています。
さらに精度が上がれば、ワークスケジュールの作成にも応用できるはずです。需要予測システムのもと、この日はこれくらいお客さんが来そうだから、スタッフを何人あてる――こういったスケジューリングが自動でできるようになると思います。
入山 いままでは店長が受発注の責任を持っていて、そのプレッシャーもあって心を奪われていたのが、受発注に関しての責任は本社側が持つ、ということですか。そうすると、店長に時間的余裕が生まれ、心の負担も相当減りますね。
磯村 ええ。店長にとっては「システムがそう示しているから」と言える状態にあったほうが、プレッシャーは減りますから。一方でそれは、IT部門側がシステムに責任を持ち、数値が悪ければ、IT部門で原因を究明し、改善していかなければいけないことを意味します。つまり、DXによって、会社の仕組み自体が変わったと言えますね。すると、店長は接客の仕事に集中でき、それがお客様への「食の感動体験」を生む。これこそが、店舗でのDXに取り組んでいる最大のポイントだと思います。