「総合商社」という言葉が定着したのは戦後
7社の概要をコンパクトにまとめている。このパートを読むだけでも、相当、総合商社に対する理解が深まるはずだ。
太平洋戦争の前、「総合商社」という言葉がなかったと知り、驚いた。実質的にそれと呼べる存在はあったが、総合商社という言葉が定着したのは戦後になってからだという。
最初の総合商社とされている三井物産は、1876年(明治9)、豪商三井家によって創業された。 他人の依頼を受けて商品を売買して手数料を得る、リスクの小さい「コミッション・ビジネス」をするための組織としてつくられた。その後、鉱山業や繊維産業と結びついて発展する。1900年代後半には、日本の総輸出入額の20%前後を取り扱うまでになった。
戦後、GHQにより徹底的に解体され、約220社の新会社となった。それらが合併し、1959年、新しい三井物産となった。いまの利益の大半を稼ぎ出しているのは、過去の金属資源とエネルギーのセグメントにおける投資だ。
三菱商事は、1918年に、三菱合資営業部の分離独立により設立された。鉄鋼製品、機械、食品などの取引を進め、太平洋戦争末期には三井物産に次ぐ地位になった。戦後、約140社の新会社に解体されたが、合併を繰り返し、1954年に新しい三菱商事が生まれた。戦前から重化学工業に強く、三菱グループの御三家の一つとして発展した。