米・アップルはカリスマ的な創業者、スティーブ・ジョブズ亡き後も発展を続け、2022年には時価総額が3兆ドルを超えるまでになった。
本書「AFTER STEVE アフター・スティーブ」(ハーパーコリンズ・ジャパン)の副題は「3兆ドル企業を支えた不揃いの林檎たち」。本書は、ビジネスの剛腕を誇るティム・クック(現CEO=最高経営責任者)とデザインの天才、ジョニー・アイブ(元CDO=最高デザイン責任者)。アップルを託された正反対の2人の確執を描いたノンフィクションである。
モノづくりと営業、現場とマネジメント、クリエイティブと数字...。これらの対立は多くの企業人の参考になるだろう。
「AFTER STEVE アフター・スティーブ」(トリップ・ミックル著、棚橋志行訳)ハーパーコリンズ・ジャパン
著者のトリップ・ミックル氏は、ニューヨーク・タイムズのアップル担当テクノロジー記者。前職のウォールストリート・ジャーナルではアップル、グーグルなどのテック系企業を数多く担当。秘密主義がモットーとされるアップルの200人を超える現役社員、元社員から話を聞き、5年がかりで書き上げた。
500ページ近い大著だが、iPhone、iPad、アップルウォッチなど、アップル製品の開発、リリースまでの過程も詳しく描かれ、まったく飽きさせない。
自らの死後、組織の崩壊を心配していたスティーブ・ジョブズ
2011年10月5日、アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズが56歳で亡くなったところから始まる。ジョブズは独創性にあふれる創業者に率いられた会社が、創業者を失った後、不振になることを心配していたという。
例として、ディズニー、ポラロイド、ソニーを挙げている。そのため、ジョブズの思考法を体系化し、新入社員には「アップルの何が同業他社と違うのか」を教え込んだ。
また、マーケティング、デザイン、エンジニアリング、サプライチェーン管理に卓越した経営陣の一人ひとりに個別に声をかけ、特別報酬を付与することを条件に、残留することを求めた。ジョブズを中心に、「ヒトデの脚」のように伸びた組織の崩壊を恐れたからである。
2週間後の追悼式で、CEOのクックは冷静にジョブズの功績を讃えた。一方のアイブは、個人的なエピソードを語り、観衆を沸かせた。
ジョブズが、アイブを自分に次ぐ最重要人物と考えていたことを社員は知っていたので、ジョブズなしでアップルはどうすれば前進できるのか? 「その答えはおおむね、クックとアイブの肩にかかっていた」と書いている。
「デザインの天才」ジョニー・アイブ、「業務執行人」ティム・クック...どんな人?
2人の経歴とアップル入社後の卓越した仕事ぶり、ジョブズ亡き後に分かれた運命について、それぞれ章を設け、紹介している。
アイブは第2章「芸術家(アーティスト)」にデザインの天才として登場する。その仕事場をスタッフは「至聖所」、つまり、聖域の中の聖域と呼んでいたそうだ。
ここに入るのは厳しく管理され、バッジで入れるようになるのはアップル最高の栄誉のひとつと考えられていた。
「本社内でもっとも畏敬される空間」であり、ジョブズは毎日のようにスタジオを訪れ、デザインチームが取り組んでいる仕事を見ては改善策を提案していった。
そんなアイブは1967年、英ロンドン郊外で生まれた。工芸の教師だった父のもと、ニューカッスル・ポリテクニック(現ノーザンブリア大学)という最高峰のデザイン専門校を擁する大学で学んだ。
未来型コードレス電話機の模型をつくり、デザインコンペに応募。入賞して得た旅行資金でカリフォルニアへ。そこで自作を見せたところから、アップルのデザイナーへの道が開けた。
一方、クックは第3章「業務執行人(オペレーター)」に、アラバマ州の田舎町に育った少年として紹介されている。1960年生まれ。父親は農産物の販売と乳牛運搬車の運転で家計を支えていた。
クックは、オーバーン大学生産工学・システム工学部を出て、IBMに入社。サプライヤーの管理と在庫の最小化で頭角を現す。精力的な働きぶりもあり、デューク大学の経営大学院の夜間コースに派遣された。金融、戦略、マーケティングの講座を受けたことで、サプライチェーンの仕事の範囲外だった事業領域への理解が広がった。
その後、コンピュータ会社コンパックに移籍。1日に2時間しか在庫を抱えずにすむ方式に改善し、会社に貢献した。アップルからスカウトされたが、断った。
「世界最大のコンピュータメーカーで楽しい仕事に就いていた。それを捨ててまで、倒産の危機に瀕している会社に移る必要がどこにある?」
しかし、アップルに復帰したばかりのジョブズと面談し、心が変わった。
ハードウェアからサービスへと社業の軸足を移すアップル
アイブは1998年に発売された新製品iMacの大ヒットに貢献した。丈夫で半透明なプラスチック製シェルは、標準的なコンピュータの筐体の3倍かかったが、ジョブズが押し切った。「最初にデザインありき」が、新しい進め方になった。その成功は、会社のイメージと経営状況を一変させた。
ジョブズがアイブの地位を引き上げたため、デザインスタジオが製品開発をリードするようになった。iPhone、iPadと2人はコンビを組んだが、「アップルのイノベーションはジョブズから生まれている」という受け止め方は、アイブには不満だったという。
一方のクックは、自社工場を閉鎖して中国の委託工場に生産を委ね、利益を上げた。委託工場にしてみれば、市場のどこよりも低い価格を要求されたが、アップルのエンジニアから最先端の製造技術を学び、そこで得た技能を、他の家電メーカーに売り込むことができたので、厳しい条件を受け入れた。
ジョブズの死後、ソフトウェアの天才と言われたフォーストールがマップのトラブルで失脚。唯一のライバルは排除された。アイブもまた、自身が発案したアップルウォッチの低迷で燃え尽きた。アイブは現在、アップルを離れ、デザイン会社を立ち上げて活躍している。
著者は、クックとアイブの成功は「社内離婚という失望で暗転した。二人の協力体制の解消は必然だった」と見ている。アップルはハードウェアからサービスへと社業の軸足を移したため、二人をつないでいた糸はほつれた、と結んでいる。
秘密のベールに覆われていたアップルの内情が、詳しく描かれているところに、本書の価値がある。
アップル製品をさまざま愛用している人にとって、より製品が身近に感じられるだろう。そして、途方もないエネルギーがそれらを生み出したことを知るだろう。(渡辺淳悦)
「AFTER STEVE アフター・スティーブ」
トリップ・ミックル著、棚橋志行訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
2640円(税込)